第99回 伊豆佐比売神社【宮城野区岩切】
- 2010.12.22 Wednesday
- 19:00
【訪問日】2010/05/03
【地図】
岩切にある伊豆佐比売神社。利府町菅谷にある伊豆佐比賣神社から分霊されたものです。祭神は講昨比賣命で、米作地帯の灌漑を第一に司る女性の神だそうです。
田んぼの中にある神社。鎮守の森のおかげで遠くからでも位置が分かります。
角張っている鳥居。
鳥居の脇に説明版があります。
『矢崎神社 畑中の伊藤家が建立した。現在の鳥居は昭和54年11月そして、社殿は昭和57年11月に御当主の伊藤良治氏が建立した。鳥居から社殿に続く石畳は田子用水の取水口の隧道に使用されていたものを昭和57年11月七北田川河川改修工事により撤去されたものを敷いた。
境内に狐の産室といわれる穴がある。その昔矢崎神社の狐が岩沼の竹駒明神と行き来したと伝えられている。
この神社には矢崎大明神・伊豆佐比売神社・秋葉大権現・大日堂が奉られている。』
見出しは矢崎神社なんですね。見た限り社殿はひとつしかないので、矢崎神社と伊豆佐比売神社が一緒になっているようです。
社殿。
こちらは社殿の右にあるお堂。これが説明版にある「狐の産室」なのでしょう。
小さなお稲荷様が祀られていました。
山神と秋葉大権現。
鳥居脇の大日堂。右奥が狐の産室です。
【地図】
岩切にある伊豆佐比売神社。利府町菅谷にある伊豆佐比賣神社から分霊されたものです。祭神は講昨比賣命で、米作地帯の灌漑を第一に司る女性の神だそうです。
田んぼの中にある神社。鎮守の森のおかげで遠くからでも位置が分かります。
角張っている鳥居。
鳥居の脇に説明版があります。
『矢崎神社 畑中の伊藤家が建立した。現在の鳥居は昭和54年11月そして、社殿は昭和57年11月に御当主の伊藤良治氏が建立した。鳥居から社殿に続く石畳は田子用水の取水口の隧道に使用されていたものを昭和57年11月七北田川河川改修工事により撤去されたものを敷いた。
境内に狐の産室といわれる穴がある。その昔矢崎神社の狐が岩沼の竹駒明神と行き来したと伝えられている。
この神社には矢崎大明神・伊豆佐比売神社・秋葉大権現・大日堂が奉られている。』
見出しは矢崎神社なんですね。見た限り社殿はひとつしかないので、矢崎神社と伊豆佐比売神社が一緒になっているようです。
社殿。
こちらは社殿の右にあるお堂。これが説明版にある「狐の産室」なのでしょう。
小さなお稲荷様が祀られていました。
山神と秋葉大権現。
鳥居脇の大日堂。右奥が狐の産室です。
溝咋姫は恵比寿様の妻神とされていますが,私は瀬織津姫と同神だと思っています。
正直言って、祭神とかまったくわからないんですよね…。わかったほうが面白いとは思うんですが。
調べても何を司っているのかぐらいですね。
その場所にその神を祭るのには理由がありますので,やはり祭神は存じ上げてから参拝すべきだと思います。
因みに瀬織津姫は天照大皇神の荒魂として祭られている大変強い神です。
これは私の考えですが,其れゆえエミシ討伐の守護神として田村麻呂の時代に東北(多賀嬢に有ったと言われる熊野本宮や一関の室根神社等々)に連れて来られ、時の朝廷の言い訳でエミシ討伐が侵略戦争ではなく、国産みの儀式に理由が変えられ,イザナギ、イザナミに変更させられたと思われます。
「触らぬ神に祟り無し」と言いますが,失礼な参拝でも許す神もいれば、祟る神もいます。
出来ましたら,下調べをし、正当なる参拝法で神社を巡って下さい。
伊藤家が建立したとありますように、勝手に自己満足で建てた神社ですので、ご利益は無いでしょう。
社殿を覗くとミカン食った跡、酒飲んだ跡とか見えたりして、全く神聖では無い場所です。
地元民は完全スルーです。