第135回 六堂阿弥陀堂【泉区実沢】

  • 2012.06.16 Saturday
  • 02:42
【訪問日】2012/01/23

 六堂阿弥陀堂。北中山団地の北、七北田川の右岸の山野内城跡(山邑城跡)がある山の中腹にあります。

○六堂阿弥陀堂(むどうあみだどう)【地図】
【本尊】阿弥陀如来など
【備考】参道がヤブの中


 入り口には案内板が立っておりわかりやすいです。右側の道路は奥が実沢大橋、手前が北中山。

 堂宇がある場所まではちゃんと参道が整備されています。写真中央の階段がそれなのですが、そこには残土処理業者のプレハブ(写真右下)のすぐ脇を通っていかなければなりませんでした。土曜なのに操業してるとは面倒な・・・


 まあ、参道は整備されていても手入れはされていないのですが。真冬なのに薮を掻き分けて進みます。訪問できる季節は限られているよう。ちなみに白い柵の左側が参道です。

六堂阿弥陀堂
 途中にある祠群。春日大社、荒神社など。これらもかつては個別に堂宇があり、その数から「六堂屋敷」の地名がつけられたそうです(『泉市誌』より)。この山の麓にあった家が200年以上祀ってきたもの。


 祠群を過ぎて参道を登りきると阿弥陀堂の横に着きます。


 阿弥陀堂正面。手前が崖なのでこれ以上引きでは撮れません。賽銭箱脇の黄色い箱は入り口の業者が奉納したお酒でした。
 堂宇はもともと登り口近くの谷にあったものを平成元年に移転し新築、中には阿弥陀如来など仏像3体と聖徳太子像が安置されています(HP長命ヶ丘とその周辺)。山野内城落城時の支社を供養したものとも言われています。


 最後に説明版。

『山野内城は七北田川の川面から50mの断崖上、東西約300m、南北約100mの丘陵に築かれた山城である。
 この城跡は桃生郡の山内首藤経俊の飛び地と伝えられている。南北朝時代には南朝の皇子とされる山村宮の軍がここを拠点としていたことから「山邑(やまむら)城」とも呼ばれた。
 文和4年(1355)、須藤刑部(すどうぎょうぶ)定安が居住したが、子孫の須藤刑部定信が天正12年(1584)に結城七郎朝光との戦いに敗れた。定信は杭城(くいしろ、泉区西中田)に逃れたが、最期は福岡川崎で自刃した。残された婦女子も崖から身を投げて一族は滅亡した。その崖下は婦女子の怨念が水泡となり絶えることが無いことから、万人渕と呼ばれるようになったという。』(一部筆者改変)

 福岡川崎は笈分阿弥陀如来がある辺り。杭城跡は住吉台の北西にあります。万人渕の水泡は天然の炭酸水が湧き出ているからで、戦前にはそれを利用したラムネ工場もありました。現在でも炭酸水を採取した井戸が残っているそうです。


――以下追記――

 ラムネ工場は、大正8年(1925年)に設立された大日本鉱泉株式会社(後にユニック炭酸合資会社に名称変更)により建設され、大正15年に生産を開始しました。昭和14〜5年頃まで清涼飲料水の他に炭酸ガスを製造していましたが、戦争により甘味料、特に砂糖が不足したため飲料水製造が不能になります。しかし軍は炭酸ガスに目をつけ、工場は消火剤や飛行機用の炭酸ガス製造の軍工場となり、一般人の立ち入りも制限されました。そして昭和19年、七北田川で大洪水が発生。製品を搬出するための橋や道路が失われたため、工場は閉鎖されました。当時日本に3台しか無かったというガスを採取し圧縮するドイツ製の機械は、東京の三菱の会社に移されました。
 この工場で製造されたサイダーやラムネ、炭酸水は仙台市内のホテルやバーに出回り、また東京の帝国ホテルにも出荷されていたそうです。閉鎖された工場はそのまま復活することなく(清涼飲料水の製造は戦後に市内の別の場所に工場を移して再開されたそうですが)、跡地には炭酸水を採取した直径3m、深さ8mの巨大な井戸と露出噴湧の井桁だけが残っているとか。詳しい場所はわかりませんが、ぜひ見に行ってみたいものです。
 
コメント
色々と検索しているうちに辿り着きました。私がやりたくてもやれないでいることをして下さっていて、悔しいやらありがたいやら。紹介文も面白いです。
お若いのに、渋い趣味で結構なことですね。小さな神社や祠ってなんでこんなにイイのでしょう。路傍の石碑の神様たちも紹介してくださると更にうれしいです。
見れば同じような趣味のご友人もいらっしゃるようで、羨ましい限りです。仙台市に限らず、近隣の町も、機会があったら是非訪れて紹介してください。期待してます。
  • caz3
  • 2012/07/12 10:35 AM
>caz3さん
コメントありがとうございます。
こんな拙い文章でも楽しんでいただけたのなら光栄に思います。

路傍の石碑も興味はあるのですが数が多すぎるのでどうにも(笑)
この趣味を私に教えてくれた友人とともに、ご期待に沿えるようがんばりたいと思います。
  • ひとめぼれ
  • 2012/07/16 12:02 AM
初めまして
私も以前より近隣の小さな神社や石碑が気になって仕方がなかったのですが、とても見やすく丁寧な語り口での説明のこのサイトにたどり着き、おかげで毎週愛車ジムニーで探索する楽しみが出来ました。
本日、この神社を訪れましたが、手前の事務所はプレハブだけを残してどなたも居りませんでした。(廃業?)
そして神殿までは、未だに笹の攻撃をモロに食らいます。(虫が居なかっただけよかった)
何とか今年中にはサイト内で紹介されております青葉区と泉区はすべて回ってみたいと考えております。
  • まぁ
  • 2014/10/22 12:25 AM
>>まぁさん
初めまして、コメントありがとうございます。返信が遅くなり申し訳ありません。

こんなブログでもお褒めの言葉をいただき、恐縮の至りです。

>そして神殿までは、未だに笹の攻撃をモロに食らいます。
やっぱり状況は変わっていないんですね。一度誰か薮を刈ってくれないかな…(笑)

>何とか今年中にはサイト内で紹介されております青葉区と泉区はすべて回ってみたいと考えております。
なかなか訪問が困難な場所もありますので、どうか気を付けてください!
  • ひとめぼれ
  • 2015/01/31 2:09 AM
近所のため、「いずみ史跡今昔物語」(http://www.city.sendai.jp/izumi-kuse/izumiku/shokai/profile/izumishiseki/izumishiseki5.html)と、Google Mapを頼りに訪問してみました。何と、あのプレハブ小屋の脇に進入路があったのですね…。事前にこちらのサイトを見ていればと反省しました。そして、とても興味深いいくつもの記事がこれからの参考になります。今は藪で入れそうにもないので、秋口にでも再訪してみたいです。余談ついでですが、この道を左に進んだ先で何やら盛んに造成を行っていました。北中山の裏手にあたるのでしょうか、あんな崖地を掘削してどうするのだろうと不思議でした。実沢からその崖を臨むと丸ごと禿山になっています。
  • ザーカイ
  • 2020/09/08 5:31 PM
崖での工事ですが、震災崩落地の修復と自己解決しました。失礼しました。
  • ザーカイ
  • 2020/09/09 7:21 AM
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