第142回 杭城山不動尊(三日月不動尊)【泉区西田中】
- 2013.04.13 Saturday
- 23:49
【訪問日】2011/11/26
申し訳ありません、久々の更新となってしまいました。
最近不動尊が大好きになってきたので、これからはとりあえず残っている不動尊の記事を書いていこうと思います。
さて、今回は泉区西田中地区の山の中にある杭城山不動尊(三日月不動尊)。読み方は「くいしろやま」。山頂部に館跡がある杭城山の南にありますが、その山とは若干離れています。【地図】
この不動尊は山奥にあり、沢(萱場川)を渡らなければ辿りつけない、という難易度の高い場所にあります。それではいきましょう。
住吉台団地の西、道路のどん詰まり。ここが不動尊への入り口になります。木に隠れてしまってまったくわかりませんが、写真左側がかつての市のゴミ焼却炉、旧西田中工場の跡地になります。
1枚目の写真の位置から振り返ったところ。道路はここで行き止まりとなり、この先は林道に入ります。写真左側の家は廃屋。
どうやらこの林道は「大堤林道」というようです。
しばらく進むと行く手がトラロープに阻まれますが、特に進入が禁止されているわけでもないので気にせず進みます。
さて、ここからは延々と林道を歩きます。高低差はそれほど無いので歩きやすい道ではありますが、歩く距離がけっこう長い。
「もうかなり歩いたんじゃないかい?」
「確かに。案内が建ってるはずなんだけどな」
「もしかしてもう通り過ぎたとか?」
「あり得るな」
などという会話をH君と交わして不安になってきた頃・・・
ありました、案内碑が。ここまで20〜30分かかったと思います。
「三日月不動尊入口 徒歩約5分」
案内碑にはこう刻まれていますが杭城山不動尊と三日月不動尊は別物で、現在三日月不動尊は泉区小角にある大満寺に安置されており、例祭も行われているようです。
これから読み進んでいけばわかると思いますが、徒歩5分では絶対に着きません。
えっ、なんなのこれは(困惑)
案内の矢印の先には豪快に切り開かれた道がありました。
えー、こっちでいいの・・・?と疑いつつもその道を進みますが、それで正解なのです。
ブルドーザーで開削された道らしく、かなりの勾配で谷底に下っていきます。
谷底に到着。しかし、お目当ての不動尊はここにはありません。ここから少し沢を上流に遡ったところにあります。
沢には排水管が放置されされていました。これを運ぶためにさきほどの道が作られたのでしょう。
さて、ここから沢を遡るわけですが、写真を見ていただくとわかるように行く先はかなり荒れていました。大雨の影響だと思われますが、土砂崩れが起きており足場が非常に不安定で、気をつけないと簡単に足を取られそう。ここで長靴に履き替え。
土砂崩れの不安定な斜面を越え、この場所から沢に入って進みます。それにしてもこの排水管、意外と大きいんですよね。
1つ前の写真の場所から少し進んだところですが、ここが難所。山奥の沢といえども水深があるので、慎重に安全な足場を探しながら前進します。沢には魚が泳いでいました。
難所を越えれば目的の場所までもうすぐ。わかりづらいですが、写真の中央上寄りに不動尊の施設が見えます。
複数の排水管が放置されていたところから30mぐらいでしょうか、やっと杭城山不動尊に到達です。
以下、資料より抜粋。
「12 杭城山不動(三日月不動) 西田中杭城山
寛永6年(1629年)勧請と伝えられ、萱場川上流の滝にある。」(『泉市誌下巻』P304)
「13 三日月不動尊 小角大満寺
明治初年、前記杭城山不動尊の傍らに、鷲尾言聖(吉)が堂宇を建てて祀ったものである。明治30年、言聖の死去により荒廃し、本尊を盗み出した盗賊が、途中捨てたものを拾って、改めて大満寺境内に祀られた。」(『泉市誌下巻』P304)
「7 三日月不動尊
西田中杭城山中で萱場川上流、隣村宮城町芋沢との境にある。支流の小さい滝に尊像三体が剣を持って水を浴びている。昔は道場や長床があって盛んな祭りをしたという。今も参詣者が多い。萱場部落から歩いて約1時間の奥地である。」(『泉市誌下巻』P803〜804)
不動尊の前では沢の水が堰き止められています。
あ、H君が足を取られていますね。ここには大量の砂が堆積しているため、うっかり砂地に足をつっこむと間単には抜けなくなります。長靴は必須です。
沢の小さな支流に不動尊が祀られています。
三体仲良く並んで滝に打たれていました。水量はほどほど。
不動尊が祀られている場所から沢の流れを見る。
自然の力によって破壊された不動尊の施設。真ん中のものは燭台であるのはわかりますが、もともとがどういう形であったかはわかりません。資料によればかつてこの場所に道場や長床があったそうですが信じられない…。それぐらい昔は参拝者が多く管理もきちんとされていた、ということでしょう。
これは・・・コンロ?
コンロの下には「三日月不動明王」と刻まれた石碑がありました。明治15年とあるので、これが奉納されたときは三日月不動尊もこの場所にあったんですね。
最後に杭城山不動尊全景。写真左側に不動尊像が写っています。
この不動尊を訪れたのが2011年11月。時間が経っているので現在どのような状況になっているかはわかりませんが、このように自然に囲まれている場所を訪れる度に「あと何年、ここは残っているんだろうな」と思ってしまいます。
・・・そしてあと何年経ったら神社を全部紹介しきれるんだろうか
地面に足を取られたときはかなり焦りました。すぐに足を引き抜けなかったら、たぶん長靴の中が泥水だらけになってたことでしょう。しかし、よくこんなところ行ったもんですね我ながら。
まあ、この後、続けてトライした不動尊でぐっちゃぐちゃになるんですがね……
ちょっと公開に時間かかりすぎたな・・・
むしろこういうところに行くのが我々の使命みたいなものじゃないですか
コメントありがとうございます。
確かにこの状況では辿り着くどころか見つけることさえ困難ですからね。
そういうところこそ行かなくてはならない場所だと私は思っていますけど!