第143回 陀羅目木不動尊【泉区朴沢】
- 2013.04.15 Monday
- 23:56
朴沢八幡神社で道中祈願をしまして・・・(朴沢八幡神社についてはこちらの記事を参照にしてください)
早速、藪の中に突っ込みます。
途中で道祖神にもご挨拶。(ここまでのルートはコチラの記事を参照)
そしてさらに谷底の川(長谷倉川)まで崖を下ります。1歩足を踏み外したら怪我すること必至です。
下まで下りきったら、木の生えていない広場を北に進みます。
写真中央の少し地面がくぼんでいるところから川に出ます。
ちなみにこの川までは、朴沢八幡神社側からではなく鷲倉神社側からも来ることができます。鷲倉神社近くの民家の裏手から川までの道があり、それを辿っていくと崖を下って川べりのポンプ小屋に着きます。そこから不動尊は目と鼻の先。そちらのルートのほうが断然楽なのですが、それを知ったのはこの日から5年後のことでした…
しばらくこの近辺を探しましたが不動尊は見つからず。川を上流に遡ることにしました。
最初は川岸を進んでいましたが、途中で写真のように湧き水で濡れた岩場が出現し滑って進めなくなります。私はこの岩場に気づかず進入してしまい、見事に川に落ちました。しかしそれで気持ちが吹っ切れ、以降は普通の靴でガンガン川の中を進むことに。
さらに上流に進むと、広い河原が現れます。ここまで来ればもうすぐです。この時点で2人とも足元はびっしょびしょ。H君は長靴を履いていましたが、川の深さには勝てなかったようです。
さらに進むと、右手から滝音が聞こえるので確認してみると・・・
あった!やっと見つけた!念願の陀羅目木不動尊に到着です。
地元の方に「不動尊はちゃっこい(小さい)んだ」と聞いていましたが、大きさは30cmほど。
以下、資料より抜粋(一部加筆)です。
「10 陀羅目木不動 朴沢八幡下
昔の岩出山街道(奥筋の定義道)の長谷倉川渡河点(八幡神社裏)にある。増水により埋没、現像は後世のもの。」(『泉市誌下巻』P304)
「6 だらめき不動
朴沢十二神(注:じゅうにぜん)の下、朴沢川に降りる坂道沿いにある。昔から眼の悪い人たちが参詣したという。この道はかつて仙北地方から定義参りの道で、ここから川を渡って定義へ向かった。」(『泉市誌下巻』P803)
随分と険しい場所を街道は通ってたんだなあ・・・
一応、この・・・えーと、名前がわかりませんが、白い布がくくりつけられた杖?が目印になります!…なんて言うんだこれ
頭上からは勢いよく湧き水が滴り落ちてきます。かなりの水量でした。
そして、無事帰還。杭城山不動尊も行ったし、いやー濃い一日だった・・・
帰りに靴を乾かすためにコインランドリーに寄りました。終わり!
それにしても、秘境に埋もれつつある社の訪問・探検には頭が下がります。こうして記録を残して下さらなければ、人知れず失われて行ってしまう可能性が低くないと思いますので、しごく重要なお仕事だと思います・・・・何に重要なのかは置くとして(笑)。
写真と文章をまとめてアップするのは大変な労力だとは存じますが、楽しみにしておりますので、どうか引き続きよろしくお願い致します。
コメントありがとうございます。
更新が滞ってしまい申し訳ありませんでした。そして励ましのお言葉、本当にありがとうございます!
>人知れず失われて行ってしまう
私もそう思います。記録に残すなんて立派なものではないですが、「こういう場所もある」ということを少しでも多くの人に知ってもらえたらいいな、と思っています。
また更新が遅くなることもあると思うので、気が向いたときにだけで構わないのでこのブログを見てやって下さい(笑)
こちらこそはじめまして。そしてコメントありがとうございます。
>あの白い布がくくり付けてあった物は梵天では無いでしょうか?
なるほど、あれは梵天というのですか・・・教えていただきありがとうございます!確かに光明の滝にもありましたね。
>すごい情報収集力ですね!
とんでもない(笑)
泉区は他の地域に比べて、泉市誌をはじめ史跡等の詳しい文献・情報が多いんですよ。図書館の郷土資料のコーナーを漁ってみたりすると面白いですよ!
それにしても中学一年生で史跡好きとは・・・変わっていますねw(褒め言葉)