第148回 龍門山洞雲寺(山の寺)【泉区山の寺】
- 2013.11.04 Monday
- 01:46
楽天日本一おめでとうっ!!!
【訪問日】2012/05/01
【地図】
さて、今回は寺院の紹介です。
龍門山洞雲寺。正式名称よりも、通称の「山の寺」と言ったほうがわかりやすいですね。本尊は釈迦如来で、滋賀の石山寺、山形の立石寺とともに「日本三山寺」のひとつとされているそうです。
…まあ日本三大○○とか三○○とかって定義が曖昧だったり一部が勝手に言ってたりしますけd
山の寺は谷の中に位置し、三方向が山…というか住宅地に囲まれています。春には桜が咲き乱れるなど、近隣住民の憩いの場になっています。
戦前までは茶畑もあり、「山寺茶」として有名だったそうです。
山の寺の案内板。
『 龍門山洞雲寺は、奈良時代慶雲元年(704年)蓮葉山円通寺(れんようざんえんつうじ)として釈定慧(しゃくじょうえ)によって開山されたと伝えられている。
その後退廃と再興が繰り返されたが、伊達氏の保護により享保14年(1729年)から約50年かけて仁王門、仏殿、山門、開山堂、方丈庫裡(ほうじょうくり)など壮麗を極めた堂宇が建立された。(『龍門山洞雲寺伝』より)
しかし昭和18年(1943年)4月、近くを通っていた軽便鉄道の火の粉が大きな山火事を引き起こし、すべての伽藍(がらん)が焼失してしまった。… 』(案内板より)
その後、境内の樹齢数百年のスギやモミの木を売り、昭和36年にコンクリート造りの本堂が再建されました。
…が。
現在はご覧のとおり、本堂があった場所は更地になっています。震災の影響で取り壊されてしまいました。
上の写真の生垣のすぐ内側には秋葉山神社があり、かつては講が伝わっていたそうです。
『 山の寺一銭講
山の寺洞雲寺に伝わる講だが今は無くなった。
この講は山の寺洞雲寺境内に鎮座する秋葉山神社の祭典で、火伏せの神、三尺坊威徳大士を祭神としている。
祭典日は檀家の人々が当日(とうにち、幹事のこと)を決め、信者の各戸を回り、白米を茶わん一杯ずつ集め、白米のゴマ塩おにぎりを参拝の人たちに配ったと古老は話す。白米のゴマおにぎりなど容易に食べられなかった時代なので参拝者でにぎわったという。 』
(『いずみのふるさと総集編』p123より抜粋)
境内の西にある崖には洞窟があります。岩谷観音堂です。
『 岩谷観音堂
この地には、釈定慧(しゃくじょうえ)が蓮葉山円通寺(れんようざんえんつうじ)として開山した寺があった。
しかし二匹の大蛇が寺を湖に沈め、近づく農民らを威嚇(いかく)し困らせるようになった。室町時代初期、市名坂村の佐藤藤左衛門はこの雌雄の大蛇を退治したいと思い、岩沼の竹駒神社に長年「願かけ」をしていた。あるとき、加州椙樹林大乗寺三世 明峯素哲禅師(めいほうそうてつぜんじ)が岩沼付近を訪れたところ、白髪の老人(洞雲寺の狐の化身)が禅師と藤左衛門を引き合わせた。
禅師は藤左衛門の案内で市名坂に赴き、大蛇を法力で飛散させた。その後禅師は領主国分氏に請い、湖を賜って水を干してみると昔と寺跡が出現した。禅師はここに寺を建てて龍門山洞雲寺とした。定慧の観音像も新たな岩窟に納められた。そこがこの場所である。かたわらには禅師との橋渡しをした狐の祠(ほこら)が建っている(→右手洞窟)。(『洞雲寺伝』より) 』
(案内板より)
そして境内には滝もあり、不動尊像が祀られています。
ここには心月不動、門滝不動という2体の不動尊像が安置されt………あれ?
拡大。
…1体しか無いじゃないの!
拡大、別角度から。
おそらく、赤マルをつけた石が、手前に倒れた不動尊像なのではないでしょうか。
『 18、心月不動 山の寺洞雲寺
古来洞雲寺境内にある。
19、門滝不動 山の寺洞雲寺
もと丹波沢(将監4丁目)にあったが、宅地造成のため
山の寺、心月不動の傍らに移されたもの。 』(『泉市史下巻』P305より)
左側の倒れているものが心月不動、右側のものが門滝不動だと思われます。
さて、最後に山の寺の外からひとつ。山の寺の入口に流れている要害川を下っていくと、山の寺が焼失した山火事の原因となった仙台鉄道の橋台(きょうだい)が遺されています。
拡大写真。橋台とは川の両岸に設ける、橋桁を載せるための構造物です。
かつて仙台鉄道は北仙台〜中新田(現・陸羽東線西古川)間を結んでいましたが、台風による大打撃を受け1960年に全線が廃止されました。この橋台は同鉄道跡の最大の遺構と言えるようなものです。 Wikipedia-仙台鉄道
11月に入り、そろそろ探索にちょうどいい時期になってきました。どこにいこうか…