第160回 野尻愛宕神社その3 神社到着!

  • 2015.04.10 Friday
  • 23:32
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【訪問日】2014/04/29
【地図】

1.JPG
ついに愛宕神社に到着です!
 
それでは、苦労してたどり着いた愛宕神社をじっくり見てまいりましょう。

2.JPG
東向きの愛宕神社全景。2m四方ほどの鞘堂の中に本堂が収まっています。意外なことにほうきが置いてあり、管理はしっかりとなされているようです。

ここで神社の概要を掲載。

(一)野尻愛宕神社

一、位置
 
秋保町馬場字野尻北山
一、祭神
 
軻遇突智命
一、由緒
 
野尻の北に聳える三角形状の高山が愛宕山である。伝説によれば、戦国の世伊達氏麾下(きか)の馬場摂津守と最上義光は度々干戈(かんか)を交えたが、そのつど野尻の老人・女・子供はこの山に避難し、小屋をたてて生活をした。それに因み小屋だて山ともいわれていた。山頂の回りには、今でも小屋を建てるために設けたと思われる土壇が幾重にも取りまいているのがわかる。

一、境内面積
 
三坪
一、建坪
 
一間四方
一、氏子
 
野尻部落全戸五十一戸
一、氏子総代
 
祭りの世話役は若長。但し部落の全戸が輪番で祭りの当番となる。
一、祭日
 
旧六月二十四日
一、祭礼の行事
 
当番に当たった家で秋保神社の神主の宿を勤める。その際両隣の家の夫婦が来て、神主の接待をしたり、神社へ奉納するしめ縄をなったりする。これに若長が加わって飲食を共にする。
 当日は、これらの人々に信者が加わって拝みに上る。昔は、山頂近くに小屋掛けをして、部落の人々が一日仕事を休んで祝宴を張った。更に古い頃は余興として田植踊も奉納されていた。

一、金石・絵馬
 
鰐口(享保二年、喜左ェ門等三名奉納)、石灯籠(数百年前のもの)』  (『秋保町史』P455〜456より)

3.JPG
本堂。あまり高さが無いので、屈まないと中を見ることができません。

4.JPG
ちょっと失礼して本堂の内部を拝見。納められている木札には「愛宕神社」云々と記されているのが確認できます。手前に置いてある鰐口は秋保町史に記載されているものでしょうか。

5.JPG
社殿の裏、つまり山の西側斜面は崖になっています。
ここを転落したらひとたまりもないなぁ…と思って下をのぞき込んでいると、何やら視線を感じます。

「おう余所モン、こんな所で何してんねん」
6.JPG
振り返ってみると、一匹のヘビが私のほうを見ていました(写真は社殿の中にそのヘビが入っていくところ)。
写真を撮りつつも慌てて挨拶をすると、「ええんやで」という感じで去っていきました。この山のヌシ様かな?

7.JPG
社殿前方の光景。平場なんてほとんどありません。

8.JPG
社殿前から少し参道を下ると、上部を失った石灯籠が見えてきます。

9.JPG
石灯籠がある場所から社殿を見る。かなりの高低差があります。

10.JPG
石灯籠には「天保4年(1833)6月」と刻まれていました。

11.JPG
社殿を正面から見る。心なしか左に傾いて見える?

12.JPG
社殿の正面右側には小屋だて山の最高地点があり、その場所には案内板が転がっていました。

13.JPG
山頂から南を向いたときの眺望。お世辞にも眺めがいい、とは言えませんね。どの方角を向いてもこのような眺望です。


さて、その1でも触れましたが、この山の山頂付近には戦国時代の城館跡である野尻小屋館跡があります。
その概要を掲載します。

『 野尻小屋館

 所在地 太白区秋保町馬場字野尻北
 別称 なし
 規模 東西70m、南北50m
 立地 丘陵
 現状 山林、神社
 残存遺構 曲輪
 時期 戦国時代

一、概要
 (略)…この山頂の神社を基点に、東へ八段、南へ五段の帯曲輪が作られている。それぞれの幅は、3mから4mで、広くはない。北と西は急崖なため段は築かれていない。帯曲輪は、山頂付近のみしか築かれていない。
 この他、『秋保町史』は山の中腹や裾野にも平場場の場所があるとするが、城館の遺構とは認めがたい。
 この館は、二口街道と大行沢を下ってくる道とが交差する所を押えてる。周囲は、南面の名取川、西面の穴堂川、東面のひの塚沢と三方が深い谷で囲まれて、北面も山続きで天然の要害になっている。

二、歴史
 『古城書上』や近世の地誌類に関連記事は残されていない。言い伝えによると、戦国時代に最上の軍勢が越境して攻め寄せてくると、戦に加わらない非戦闘員である老人や女子供らが避難する場所であったという。構造からも、言い伝えの通り、村の館というのがふさわしいようである。
 野尻の地は、伊達氏・秋保氏からみれば最前線の位置にあたり、天正16年(1588)の最上・伊達両氏の合戦においては、5月には伊達政宗が「野窕(尻)之地」を抱える秋保直盛に普請をしっかりするように命じている。』(『仙台市史 特別編7 城館』(2006) P206〜208より)

それでは館跡を見ていきましょう。まあ、館跡といっても平場があるだけなのですが。

15.JPG
平場の様子。山頂付近から北東側を見下ろしたものですが、3段の平場があるのがわかります。
…え?よくわからないって?私もそう思います。写真だとかなりわかりづらいですね…

15.5.JPG
段差を色分けするとこんな感じなのですが…なんか余計にわかりづらくなった気がする。

16.JPG
平場の上に立って撮影。このように、平場ひとつひとつは狭いものになっています。

18.JPG
上の写真の場所から振り返って撮影。こんな狭い場所によく小屋なんか建てられたものだ…

20.JPG

21.JPG
ここも3段の平場が確認できます。

館跡の写真は以上になります。…え?やっぱりよくわからなかったって?
じゃあ現地に行って貴方の目で確かめてくるんだ!写真だと高低差がよくわかりませんね、やっぱり。私の撮り方も下手だし。

 


22.JPG
次回はちゃんと参道を通って帰ります。名取川渡れるといいな…

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