第168回 大倉川橋梁(定義森林鉄道跡) その1
- 2016.09.22 Thursday
- 03:08
名物の「三角あぶらげ」も有名な、山奥にもかかわらず仙台市内でも屈指の観光名所である定義如来。かつてその定義地区から、「定義森林鉄道」と呼ばれる軌道がさらに山中へと伸びていました。
「森林鉄道」とは山間部からの木材の輸送を目的とした鉄道であり、明治期に開通した津軽森林鉄道を皮切りに日本全国の山地に敷設されていきました。しかし1960年〜70年代に入ると輸入木材の増加や林道・トラックの発達に押され、急速に姿を消しました。現在でも運行されている森林鉄道は、屋久島にある安房森林鉄道ぐらいしかありません。
定義森林鉄道は、定義山西方寺の駐車場から大倉川に沿って進んでいました。インターネットで検索をすればたくさんの定義森林鉄道についての解説や写真が見つかるので、詳しい歴史やルートについては他のサイトにお任せします。
( ※国土地理院地図を編集・加工して作成 )
さて、今回の目的は通称「大倉川橋梁」という、その名の通り大倉川に架かっている森林鉄道の橋の跡です。その橋は木橋ながらも巨大であり、鉄道の廃止から50年以上経ちながらも辛うじて橋は架かっています。その橋がいよいよ限界を迎えているようだ、という情報を見たので、長い間行きたいと思っていた場所についに訪問することにしました。そしてついでに大倉川橋梁の少し先にある「矢尽沢橋梁」跡にも足を延ばします。
定義如来のさらに奥地、戦後の開拓地である十里平地区。その一番奥に駐車し、入山の準備をします。右側の白いフェンス沿いが入り口です。左側の建物は廃屋でした。
ちなみに定義如来からここまでの間にも廃線の痕跡は残っています。時間があれば探索しようと思いましたがそんな余裕はありませんでした。12:30 入山開始。
大倉川へ道を下っていきます。
12:35 ゲート前到着。ここから軌道跡に入ります。この場所はひどいぬかるみになっていて、長靴が無いと侵入できません。
ゲート前には大倉川の上流端を示す標柱が立っています。
ゲートを過ぎると早速このような崩壊地があり、道を半分塞いでいます。いきなりこのような場面に出くわして少し驚きましたが、このような崩壊地はあとから何回も出てきます。
ここから大倉川橋梁まではしっかりとした踏み跡がついており、私の足で30分程でした。道中の写真はいちいち載せていたらキリがないので最小限に抑えます。
対岸に滝が見えたり…
このような崩壊地を7、8回通り過ぎたり…(写真は来た道を振り返っての撮影)
切り通しを倒木が塞いでいたり…
不動尊を祀りたくなるような沢水があったりしました。
さて、切り通しを抜けて白い看板(写真中央、わかりづらいですが)が見えると、大倉川橋梁にいよいよ到着です。
岬のように突き出た岩場の先に橋は架かっています。13:00 大倉川橋梁到着。
3本のコンクリートの橋脚と、まさしく「辛うじて」という言葉がぴったりな感じで木製の桁が2本架かっています。本来は桁は3本架かっていたようですが、そのうち1本は落下してしまったようでした。
桁のアップ。右に傾いてしまっています。奥の方に少しだけ見える部分なんか、今この瞬間に崩れ落ちてしまってもなんらおかしくないように見えます。
…さて、上から見るのはこれくらいにしておいて、今度は橋を下から見上げてみましょう。期待に胸を膨らませながら踏みならされた道をたどり、橋の下の河原まで向かいます。
下から見た大倉川橋梁の様子はこのような感じです。
↓↓↓
\すごい/
上から見ると今にも崩れ落ちそうに見えたこの橋ですが、下から見るとちゃんと架かっているかのように見えるではありませんか!これ以上大きな画像でお見せできないのが残念です…
この橋を間近で見上げた時の迫力と感動は現地に行って見ないとわからないですね…
ちょっとアップ。何が凄いって、こんな山奥で大量の積雪や震災の揺れに曝されながらもこの姿を保っているなんてどういうことだよ…みたいな感じです。
木橋の対岸部分。こうやってアップで見ると本当にボロボロですね…
それでは川を渡って対岸に行ってみようと思います。
大倉川橋梁のすぐ上流には大きな堰(大倉川えん堤、平成4年完成)があり、この堰の上の方の堤体上を歩いて渡ります。幸いにもこの日は川の水量も落ち着いており、特に問題なく渡河することができました。
この堰を建設するとき、軌道跡を走ってここまでトラックなどの車両が出入りしていたことでしょう。
堤体上から橋を見る。少し遠くから見える姿も美しく、渡河中にもかかわらずしばらく見惚れてしまいました。
渡河した後は適当な場所をよじ登り、軌道跡を橋まで辿ります。軌道跡の石垣も美しい…
そして大倉川橋梁を対岸側から観察します。
↓↓↓
おお、もう…
朽ちた木で構成された橋は大きく右側に傾いており、上から見るとやはりこの橋はもう限界なんだということがよくわかります。
かろうじて踏みとどまっている橋脚。これがもう少し右に傾いてしまったら、この橋は崩れ落ちてしまうのでしょう。
10分ほどこの場所にとどまってから、ここから上流部にある矢尽沢橋梁に向けて進むのでした。
→その2へつづく
訪問日、ちょうど一年前だね。今はどうなってるやら。
探索の時は、とにかく気を付けてほしいと思う。
なんだか最近、力になれていなくて、申し訳ない(^_^;)