第15回 旅立稲荷神社【若林区若林】

  • 2010.04.25 Sunday
  • 08:27
【訪問日】2010/03/28
【地図】

 今回で15回目。旅立稲荷神社です。前回の須賀神社から広瀬川沿いに少し歩きます。


 その途中で前を通り過ぎた桃源院。門が立派です。第2回にも書きましたが、明治に発生したコレラで亡くなった方々の火葬場がこのお寺の裏にも設けられました。そのため、ここにも叢塚があります。


 桃源院から東北本線のガードをくぐると赤くて大きな鳥居が見えてきました!


 意外と長い参道に石の鳥居が2つ。「保食神社」(うけもちじんじゃ)の額が掲げられています。県の神社庁によると、明治4年に保食神社に改称、昭和34年に現在の名称になったとあります。名称の由来は、伊達政宗が初めての参勤のときに道中の安全を祈願したことによるそうです。


 社殿と境内社。この神社は政宗公だけでなく、代々の藩主が道中の無事を祈ったそうです。


 神輿堂と、確か子安観音?


 境内にあった石碑。梵字1文字が刻まれています。この1文字で何の仏様を祀っているのかがわかるそうなのですが…。その一覧が載ったページを見てもよくわかりませんでした。


 境内は県道と広瀬川に挟まれた土地にあります。非常に気持ちのいい場所でした。


 堤防から見た東北本線を走る719系電車。455系が残っていればなぁ…

 我々も神社巡りの道中祈願をして、次の神社に向かいます。

第14回 須賀神社【若林区河原町】

  • 2010.04.25 Sunday
  • 04:23

【訪問日】2010/03/28
【地図】

 今回は須賀神社。前回の秋葉神社の裏手に位置します。


 鳥居と社殿。どちらもコンクリート製で、狛犬もコンクリート製。この狛犬が独特の形をしているのですが、鳥居に被っちゃってますね…。ちなみに後ろの建物は教会です。


 境内の石碑。由来文か、と思いきや社殿をコンクリ製に建て替えた記念碑でした。


 写真奥の車が向かう先は広瀬川に架かる宮沢橋です。

 

『 須賀神社 [すかじんじゃ](河原町)

  河原町の広瀬川沿いにあり、由来は不詳という。
例祭は旧暦6月15日で、供物がキュウリなのは、木ノ下の須賀神社と同じで水難よけの御利益がある。祭では神楽や巫女舞があり、昔は木ノ下の御輿はここまでやってきて広瀬川に入って戻っていったという。  』
若林区HPより)


 大正元年の地図にはここは「天王社」と記されています。須賀神社の多くはかつては牛頭天王を祀っていましたが、明治時代の神仏分離によって日本神話のスサノオを仏教信仰に組み込んだ牛頭天王は徹底的に弾圧され、スサノオを祭神とする神社として強制的に再編されたそうです。神社と寺院を別物だと考えるようになったのはつい最近からなんですね。

 


 

2017/12/06

以下追記。

 

 この須賀神社にあった新築記念碑ですが、泉区の二柱神社に移転しているのを確認しました。気になって社務所の方に確認したところ、以下の様な返答が。

 

「河原町の須賀神社はお世話をする人がいなくなり、取り壊すことが決定した。新築記念碑は泉区野村の須賀神社に移転するはずであったが諸事情により断念、こちらで預かっている。須賀神社があった場所は今は駐車場になっている。」

 

いつ須賀神社が取り壊されたのか日時までの確認はしませんでした。まだ未確認ですが、もうこの神社は無くなってしまったようです。残念だ…

 


 

2018/01/13

さらに追記。

 

 二柱神社で伺ったことの真偽を確かめに、須賀神社に再訪してみました。(画像は拡大できます)

 

【訪問日】2017/12/05

 まだあった!

 

 前回訪れた時とあまり変わった様子は見られませんでしたが…

 

 失礼して社殿内部を覗いてみると、御神体等はすでにありませんでした。

 

 二柱神社に移設された記念碑が立っていた場所。

 

 コンクリート製の特徴的な狛犬にもまた出会えました。社殿に向かって右側の阿形。

 

 こちらは向かって左側の吽形。

 

 須賀神社の裏手の建物はキリスト教会だと思っていたのですが、神道系の教会でした(恥ずかしながら教会という言葉はキリスト系教会のみを指すものだと思っていました…)。おそらくはこの教会で神社の管理をしていたのでしょう。

 

 見た限り取り壊し工事等が始まっている様子は見受けられませんでしたが、この神社がいずれ無くなってしまうものだと思うと何とも寂しい気持ちになりました。

第13回 秋葉神社【若林区河原町】

  • 2010.04.25 Sunday
  • 03:47

【訪問日】2010/03/28
【地図】

 今回は秋葉神社。火防の神様として全国に点在している神社です。東京の「秋葉原」の地名の由来としても有名ですね。


 立派な社殿です。右端の境内社の名前は失念。左右に写っている木は桜でしょうか。咲いたら綺麗なのでしょうが訪問したのは3月…


 石柱と鳥居。鳥居の前を駐車場として利用されるとなんというか激しく萎えます。


 前回の松尾神社と同じく旧国道4号に面しています。距離は近いです。

第12回 松尾神社【若林区舟丁】

  • 2010.04.25 Sunday
  • 03:19
【訪問日】2010/03/28
【地図】

 今回は松尾神社。ここからしばらくは若林区のターンです。


 社殿。地下鉄河原町駅を北1番出口から出ると、道路を挟んで正面に見えます。


 旧国道4号線に面しています。

 なんというか…あまり見応えのない神社と言うのは失礼ですが、宮城県神社庁の検索によればちゃんとした由来がありました。

第11回 和霊神社【青葉区台原】

  • 2010.04.22 Thursday
  • 20:05

【訪問日】2010/03/23、2018/04/19

 さて、今回ご紹介するは和霊神社です。台原地区の住宅地の中に位置しています。地図とにらめっこしながら向かいます。

 

(画像は拡大できます)


 右隣はアパート。本当に住宅街の中です。

 

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第10回 瀧澤神社【青葉区本町】

  • 2010.04.22 Thursday
  • 19:29
【訪問日】2010/03/23
【地図】

 今回は瀧澤神社。仙台の街中、錦町公園の近くに位置します。


 愛宕上杉通りから、本町交番の脇の路地を進むとあります。周囲には専門学校が建っています。


 目の前は錦町公園。この近くにかつて大仏が安置されていたため、前の道路は大仏前通り(おぼとけまえどおり)と呼ばれていました。


☆勾当台公園と定禅寺通りの由来

 この神社の近くにある勾当台公園定禅寺通り。「勾当台」は、この地に盲目の狂歌師である花村勾当(「勾当」は盲人の官位だそうです)の屋敷があったことから名づけられました。定禅寺通りの定禅寺はもちろん寺の名前であり、定禅寺は現在の県庁の南東あたりに位置していました。明治6年に廃寺になり、跡地には軍の病院が建てられ、今は県の合同庁舎になっています。

第9回 仙台東照宮【青葉区東照宮】

  • 2010.04.21 Wednesday
  • 03:06
【訪問日】2010/04/18
【地図】

 今回は仙台東照宮。1654年に完成した、徳川家康を祀る市内でも大きな神社です。4月17日は徳川家康の命日だそうで、それにあわせて春祭りが行われていました。


 石段の参道を登りきったところにある幣拝殿。前日の雪にもめげずに桜が咲いていました。


 幣拝殿の後方にある本殿。フェンスの中に入ったのは1度だけ。


 神輿殿。普段は扉が閉められています。神輿渡御は5年に1度行われており、次回は2013年。裏方で御神輿を担いだことがありますが、これが結構な重さで…


 随身門。日章旗が掲げられており、様になっています。この旗の位置の調整が面倒なのです。


 参道の様子。屋台が数多く立ち並び、かなりの人出でした。


 鳥居。お好み焼きは広島風に限ります。


 参道を脇に逸れたところにある古峯神社。ここも普段は扉が閉ざされています。古峯神社は防火の神様であり、日本武尊が祀られています。総本社は栃木県にあるそうです。

 春祭りでは仙台市の登録無形民俗文化財である神楽奉納が行われます。これを見ない手はない。


 私が見た演目は「種まき舞」。お百姓さんが種を蒔いているのに鬼がそれを食い荒らしてしまい、そこに鍾馗様が現れて鬼を懲らしめる、といような話です。種を蒔く演技の時に飴を撒くので、子供たちが常にスタンバイしていました。


 拾え拾え!

 それにしても神楽が40分以上も続くとは思わなかった…鬼役の人は常に動きっぱなしだったのでかなりくたびれたでしょう。


 東照宮の春祭りはもともと「仙台祭」と呼ばれ、仙台藩最大のお祭りでした。それが明治維新でやりづらくなり(徳川家康を祀っているため)、青葉まつりに取ってかわられるような状況になったそうです。


〜以下追記〜

 普段の東照宮の姿を見てきました。


 休日には骨董市が開かれている日もありますが、流石に平日だと人があまりいません。


 仙山線の踏切に列車が通る。すぐそこに入り口の分かりづらいことに定評のある東照宮駅があります。


 参道には橋が架かっています。


 段差の数が一定ではない参道の石段。両側に並ぶ石灯籠は、確か仙台藩の家臣が寄贈したもの、だったと思います。

ここまで東照宮追加分
 こちらは参道の橋を渡る手前を右に逸れたところに建つ足尾大神。文字通り足の病を癒してくれるそうです。ここ以外で見たことがありません。

 国道45号線沿い、東六番丁小学校の校庭にはど真ん中に桜の木がそびえていますが、かつての東照宮仮宮の名残りだといいます。

第8回 長命荘天満宮(元天神)【青葉区小松島】

  • 2010.04.18 Sunday
  • 02:25
【訪問日】2010/03/23
【地図】

 今回は長命荘天満宮。東北薬科大の裏手にあります。


 家と家の間に細い参道が。左側にある石碑はいかにも歴史がありそうです、漢文なので全然わかりませんでしたが。


 鳥居と社殿。すぐ後方は薬科大の敷地になっています。失礼して社殿の内部をのぞいてみると、畳が敷いてあり多数の本がありました。どうやら集会所になっているようです、写真右の建物はトイレですし。

 大正元年の地図には「長命坂天神」、『青葉の散歩手帖』(木村孝文)には「元天神」と紹介されています。なぜ元天神かというと宮城野区の榴岡天満宮はもともとこの地にあり、
仙台東照宮が建っている場所、さらに現在の場所に移転したのだそうです。
(このことは榴岡天満宮のHPには詳しく載っていませんでしたが)


「小松島」の地名は、東北高校・東北薬科大の前にある小松島沼に由来します。小松島沼はかつては海老堤と呼ばれていて、そこに松の生えた島が浮かんでおり、それを日本三景である松島に見立てて小松島とされていた、とのことです。


第7回 台原森林公園の山神碑【青葉区北根】

  • 2010.04.17 Saturday
  • 02:49


 第7回目は友人のH君から紹介された物件。「俺の持ってる地図、台原森林公園内に鳥居のマークが載ってる」という情報を受けたものです。台原森林公園は目と鼻の先なので行ってきました。


 普通に行っても面白くないので、森林公園大橋の脇から細い山道に入って行きます。
 

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第6回 岩瀧不動明王【青葉区旭ヶ丘】

  • 2010.04.17 Saturday
  • 02:31
地図

 第6回目は岩瀧不動明。ここも自宅から近い神社なのですが、マンションの上に建っています。


 神社の入り口。道路に面していますが鳥居はありません。案内の看板がありますがかなり見落としやすいです。


 マンションと一体化している社務所の脇を抜け階段を上ると社殿に着きます。意外と広く、設備もしっかりしています。お手水は出ませんでしたが。


 六角形の立派な社殿です。写真に入りきりませんでした。


 境内社の八幡神社。このくらいの大きさの方がなんとなくしっくりきます。

 この神社の近くに住む友人によれば「確か以前あった場所が水だか滝だかに関連した所で、所有者がマンションを建設した時に神社をこっちにもってきたような話を昔聞いた」とのことでしたが、さらにこのブログを見て下さった方から情報がありました。このマンションの所有者の方が登米からここに移る時、わざわざ移設したそうです。なるほどマンションの上に建っているのにも納得がいきました。平九郎さん、情報ありがとうございました。
旧住居表示を見てみると「山沢」「東沢」「赤土沢」という小字が拾えましたが、ここに滝や水場がかつてあったとしても、それに関係した神社ではなかったのですね。

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