第22回 信夫神社【若林区三百人町】

  • 2010.05.19 Wednesday
  • 01:46
【訪問日】2010/03/28
【地図】

 前回の伊達八幡神社からまた北へ。信夫神社に到着。県神社庁によれば、政宗公が旧岩代国の信夫郡(現在の福島市)から遷座したものだといいます。


 社殿と集会所が一体になっているタイプです。手前の赤い屋根の部分は神輿堂。


 お寺が隣接して建っています。


 目の前には県道荒町荒井線が通っています。とても狭い割に交通量がかなり多く、おまけに市営バスも通る。歩行者には優しくない道ですね。


 鳥居の横、常林寺の石柱の付け根に「仙台市小学校発祥之地」と彫られてありました。現在の荒町小学校の前身です。

第21回 伊達八幡神社【若林区五十人町】

  • 2010.05.15 Saturday
  • 02:35
【訪問日】2010/03/28
【地図】

 城取神社の北にある伊達八幡神社。政宗公が慶長6年(1601)ころ仙台に城下町を開くにあたり、伊達郡より遷祀したそうです。


 交差点の一角にある境内。公園と一体化していました。左後ろのの建物は集会所兼神楽殿?中学のときにお祭りでちびっこがカラオケを2階部分で歌っているのを見たことがあります。


 社殿。右端には山神碑。以前は宝物殿もあったそうですが、火災により焼失したとか。
まったく残念な話ですよね。まあ大昔の話でしょうが…


☆仙台藩祖の「政宗」は2代目

 伊達家第17代当主であり仙台藩の初代藩主である伊達政宗。しかし、それ以前にも「伊達政宗」がおりました。それが、伊達家第9代当主・伊達政宗です。室町時代の人物で、1385年に現在の山形県置賜地方を領土とし、以後200年余りに渡って置賜は伊達家の支配下に置かれました。そのような事情から伊達家中興の祖と称えられるようになり、仙台藩祖の政宗はそれにあやかって名付けられたそうです。
 生まれてからずっと仙台に住んでいる私としては2代目の政宗公は大好きですが、いろいろ調べてみるとやはりかなり破天荒な人物だったようです(興味がある方はこちらをどうぞ)。
 あ、『スターウォーズ』のダースベイダーのマスクは政宗公の兜がモデルなんですよねー

第20回 城取神社【若林区六十人町】

  • 2010.05.15 Saturday
  • 02:10
【訪問日】2010/03/28
【地図】

やっと…20回目…

 さて、城取神社です。前回の古城神社から東北新幹線の高架をくぐりしばらく行きます。


 あまり広くない境内。


 向こうに新幹線の高架が見えますね。

 この辺りは戦争での空襲の被害を受けなかったので、昔の町割りがそのまま残っており、地名もそのままです。〜丁目、のような表示よりも私は好きですね。

第19回 愛染明王堂【若林区南染師町】

  • 2010.05.08 Saturday
  • 03:58
【訪問日】2010/03/28
【地図】

 更新ペース絶賛鈍り中。
 今回は愛染明王堂です。愛染明王は縁結びや家庭円満などを司る仏として信仰され、さらに「愛染=藍染」と解釈し、染物・織物職人の守護神としても信仰されています。南染師町の町名はその名の通り染物屋が多くあったからで、現在もいくつかの染物工場が稼働しています。


 金刀比羅神社からちょっと寄り道。舟丁にある仙台駄菓子の石橋屋さんに行きました。外見も中もいい感じ!私はウサギ型の落雁と塩釜を買いました。


 塩釜を食べつつ愛染明王堂に着きました。またもや中は集会場のようでお年寄りたちの声が。


 境内は公園と一体化しています。これは公園内にあったお稲荷様?(左)と文殊菩薩。


 山神碑。まあ大して珍しいものじゃないですが。「小牛田」と刻まれていますが、小牛田の山神社(やまのかみしゃ)から勧請されたものなんですね。他の神社などにあるほとんどの山神碑もそうだと思われます。


 目の前には七郷掘が流れます。


 この時期は田植え前なので水が流れていませんでした。昔はこの堀で染物を流していて、風物詩になっていました。そのための堀の下に降りる階段が今でも残っています。

 次回からは新幹線の高架の東側に向かいます。

第18回 金刀比羅神社【若林区南材木町】

  • 2010.05.05 Wednesday
  • 01:09
【訪問日】2010/03/28
【地図】

 南材木町小学校の北西に位置する金刀比羅神社です。


 正面から。


 斜めから。

 かつての街道筋にあります。大正時代の地図には表記がありませんでした。

第17回 新弓の町八幡神社【若林区新弓ノ町】

  • 2010.05.05 Wednesday
  • 00:24
【訪問日】2010/03/28
【地図】

 河原町界隈には神社が沢山ありますね。新弓の町八幡神社です。


 鳥居の陰になっていますが、末社の布施大明神もあります。社殿は集会所になっているようで、話し声が聞こえました。ガラガラ鈴を鳴らすのが少し躊躇われます。


 河原町の大通りに面します。


 布施大明神に由来が説明してありました。せっかくなので全文を書いてみます。

『新弓町鎮座 八幡神社末社 布施大明神 建立由来 当八幡神社は今を去る二百四十年前紀元二千三百七十七年一月 伊達家四代当主綱村公の重時臣布施和泉定安卿が藩公に建言して 若林御足軽屋敷を卜し自禄の一部一千石を割いて弓組三十六戸を新設し 若林新弓町の創称してこれを伊達藩南門の武備としたことに始まる その際定安卿の一子備前卿本吉郡柳津城主が藩命を帯びて京都に到り 男山八幡宮より父卿の名代としてその御分霊を請けて帰りこれを当町の守護神としたことが 仙台八八幡の一社として知られる当神社創建の濫□(※1)である 定安卿はその後享保二年六月十八日行年七十一才をもって逝去せられたので 当時弓組一同相諮りその霊を□(※2)神として当社に合祀することにし 以来二百数十年連綿として町内氏子一同これを祭祀して来たのである』
(※1)角へんに「傷」の右側のつくり?
(※2)傷により解読できず

 紀元2377年は西暦1717年?
 仙台八八幡
については、泉市誌に記載がありました。明治以降は国内ではなくもっぱら外国相手との戦争になり、出征兵士の武運長久を願って神仏に祈願することが盛んになりました。特に古例にならって八幡信仰が特に篤く、起源は不明ですが八つの八幡様に祈願する「八八幡懸け」の風習が広まりました。
 太平洋戦争に突入した昭和16年あたりからまた流行し始め、根白石の宇佐八幡朴沢八幡・小角の若宮八幡をまわってから仙台に出て、大崎八幡・亀岡八幡・小田原弓の町八幡・新弓の町八幡・宮城野八幡をかけました。ただしこれは泉地区の人々の例で、他の地区の人々は地元の八幡様をまわってから仙台に出てきたことでしょう。丸一日かけての行程で、亀岡八幡の長い石段では人の列が途切れることがなかった、とのことです。

第16回 古城神社【若林区河原町】

  • 2010.05.04 Tuesday
  • 23:51
【訪問日】2010/03/28
【地図】

 ちょっと間が空きました。
 今回は古城神社です。「行人塚」という塚の上に建っているといいます。


 前回の旅立稲荷から東北本線沿いに北上すると小さな敷地に社殿が。右の石碑は古峯神社、石碑の背後には神輿堂。社殿の扉に穴が開いていますが、近所の人たちが「いつの間に開いたんだろうね」と話していました。普段から注目はされているんですかね。


 すぐ傍には東北本線が通ります。写真に写る踏切の名は「行人塚踏切」。この場所には戦時中までガソリン気動車専用の駅が設置されていました。

 行人塚とは、広瀬川の氾濫を鎮めるために人柱となった僧侶(行人とは僧侶の位のひとつ)を祀ったもので、古城神社はその僧侶とともに僧侶が祈願した神が祀られているそうです。

近況

  • 2010.05.02 Sunday
  • 03:36
最近更新してませんでしたね。
すみません。

ついに訪問した場所の数が90か所近くになりました。
実を言うと、訪問したのにリストに含めていない場所もありますので実質100か所は越えているんですけどね。

次回更新まで暫くお待ちを。
期待している人がいるかどうかわかりませんが。

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