第33回 雨宮神社・磐上神社【青葉区堤通雨宮町】

  • 2010.06.28 Monday
  • 02:35
【訪問日】2010/04/04
【地図】

 雨宮神社・磐上神社
 東北大学農学部の敷地にめり込むような場所に建っています。

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社殿。左は社務所?
後方が農学部。2つの神社が1つの社殿に祀られているようです。

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 掲げられていた扁額。

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 由来の説明版。
 よくわからないのですが、明治期に磐上神社の移転、雨宮神社の社殿建築の許可を県に求めたところ、磐上神社は許可されたが雨宮神社は許可されず、雨宮神社の場所に磐上神社を移して一緒に祀り現在に至る、というところでしょうか?


☆仙台と競馬場

 現在、宮城県内には公営競技場がありません。大和町や川崎町などに場外投票券売場はありますが、仙台市内には何もないのです。ネットで投票権を買える時代ですからいいのかもしれませんが、やはりファンとしては間近で競技の様子を見てみたいものです。
 そんな仙台にも競馬場がありました。住所で言うと太白区東郡山近辺で、現在は自動車学校や住宅地になっています。この競馬場は1931年に開設され地方競馬を開催、長町競馬とも呼ばれましたが、1960年に政治家の意向や土地の賃貸期限が切れることから廃止されました。仙台競馬場が開設される前は青葉神社下の原っぱ、宮城野練兵場や川内追廻練兵場で競馬が開催されていたそうで、大正時代の地図を見ると今の通町2丁目に競馬場の表記があります。
 仙台市民の公営ギャンブル嫌いは相当のようなもので、場外投票権売場の建設が計画されるたびに反対運動が起こり話は何度も立ち消えになったそうです。関係無いかもしれませんが、つい最近石巻市と塩釜市でもそういった計画が断念されましたね。競馬ファンの私としては仙台競馬場が今でも残っていたら、と思う反面、昨今の地方競馬の不振ぶりを見るとあっても無くなっていただろうな、とも思いました。

第32回 白水神社【青葉区台原】

  • 2010.06.26 Saturday
  • 03:39

【訪問日】2010/04/04
【地図】

 今回からは青葉区のターンです。仙台城址方面に向かっていきます。
 というわけで白水神社です。白水神社といえば阿蘇にあるものが有名ですが、それと関係があるのかは不明です。仙台城址にも白水稲荷大神が祀られているので、そちらに関係がある可能性の方が高い気がするのは私だけでしょうか。

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 台原にある台原公園の中に祀られています。

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 台原のドン・キホーテの裏(東側)にあたります。この店は店内が迷いやすくて困る…

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 ここは風致地区に指定されていて、ここから帯状に仙台東照宮まで林が続いています。ここは広瀬川の河岸段丘であり、この帯状の林は段丘崖にあたります。

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 神社がある公園から道路を渡ったところにある小高い土盛り。大正の地図を見るとこの場所に「小萩ヶ塚」と記されており、これがそうだと思われます。由来については全く不明ですが、宮町の福澤神社境内にある小萩明神と関係があるのは明白?

 不名誉なことにここも心霊スポットとして有名なようで、検索するといくつか引っかかります。確かに鬱蒼としてはいますけどね…

第31回 伏見稲荷神社、塩竃神社【宮城野区榴岡】

  • 2010.06.26 Saturday
  • 02:21
【訪問日】2010/03/28

 この日の神社訪問も終盤に。日が傾いているので写真の明度が下がってしまっています。
 まずは伏見稲荷神社。仙台駅の東口から近い場所にあるので人と車の通りが激しく、小心者の私にはジロジロ見られるのは苦痛でした。【地図】

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 大して大きくはありませんが社殿は中が覗け、いろいろなものが置かれていました。掲げられていた由来には火災予防がどうのこうの、とありました。右側は某新興宗教の建物。

 
 次は塩竈神社。こちらも仙台駅東口にある神社です。
 伊達綱村による塩竈市の塩竃神社の社殿造営の際、ご神体は東六番丁にあった高福院境内に仮宮を設けて安置されました。社殿が出来上がりご神体は戻されましたが、仮宮を廃殿にするのは忍びないと新たに鹽土老翁神(しおつちのおじのおきなのかみ)を迎えて、塩竃神社としました。東北本線開通の際に高福院は無くなったため、すでに東六番丁にあった三吉神社の隣接地に移設され、さらに平成14年に仙台市の区画整理により現在の場所に落ち着きました。【地図】

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 写真中央にあるのが塩竃神社、右奥にあるのが三吉神社です。すでに18時前なのでかなり暗いです。

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 塩竃神社社殿。H君と2人で自販機のおみくじを引いてみましたが、出てきたおみくじの種類が違いました。

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 こちらは三吉神社。どうでもいいですが後から移ってきた神社の方が社殿が大きいとは。

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 東口の広場(写真奥)と神社を結ぶ歩道。私も今まで気付かなかったのですが、ここ塩竃神社の参道なんですね。ここほど自転車が停められている参道もあまり無いかと(笑)
 島崎藤村がかつてここに住んでいたことにちなんでこの参道は「初恋通り」、神社の前にある広場は「藤村広場」と名付けられています。


第30回 四社宮【若林区新寺】

  • 2010.06.26 Saturday
  • 02:20
【訪問日】2010/03/28
【地図】

 四社宮(ししゃぐう)
 新寺通りからコンビニ脇の道を入ったところに。

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 狛犬が狐なので稲荷神社なのでしょうか?
 大河原町から仙台に移ってきた鉄砲組が大阪冬・夏の陣に出兵し、全員無事に帰還できたことから、これを神のご加護と考え先住の地の大河原から四社明神を勧請したもの、だそうです。
 一説によれば支倉常長がローマに渡る際に海上安全を祈願し賽銭箱を奉納したとも伝えられ、支倉常長揮毫の賽銭箱の表板が社殿に掲げてあるそうですが画像はありません。

第29回 毘沙門堂(満福寺)【若林区荒町】

  • 2010.06.25 Friday
  • 22:28
【訪問日】2010/03/28
【地図】

 荒町商店街の中にある毘沙門堂(満福寺)
 荒町と言えば奥州街道筋にある、仙台の中でもひときわ賑やかであった街です。大正の地図を見ると、当時市内に3か所しかなかった電話ボックスが置かれている(あとの2か所は仙台駅前と小田原遊郭)ことからもそれがわかります。


 少し長い参道。右の建物は専門学校。
 この写真の左端に写っている石の塔のようなものが「奇縁二天石」と呼ばれるもの。尋ね人などに使われました。左側面に「たずぬる方」、右側面に「をしゆる方」と刻まれています。「たずぬる方」に尋ね人の特徴を書いたメモを貼り、それに心当たりがある人が「をしゆる方」に返事を貼る、という具合。そのくらい人の往来が多かった、ということでしょうね。


 毘沙門堂は「奥州仙臺七福神」のひとつにされています。


 こちらが毘沙門堂。福徳と子育ての神様として信仰を集めています。


 こちらは隣りにあった子安観音と…すみません、失念しました。


☆伝説の横綱、谷風

 江戸時代にはこの毘沙門堂が相撲の興行場所に指定され、藩内の相撲興行の中心地となりました。
 さて、江戸時代の力士に「谷風梶之助」(2代目)という人物がいます。旧七郷村の出身で、七郷掘の掃除に来ていたところを巡業中の相撲部屋にスカウトされたといいます。
 谷風は大相撲史上屈指の強豪で、江戸本場所における通算成績は49場所258勝14敗16分16預5無勝負112休で勝率9割4分9厘、優勝相当21回という凄まじい記録が残っています。実質的な初代横綱であり、63連勝という連勝記録を昭和に双葉山に破られるまで150年もの間保持し続けました。
 谷風は44歳のときにインフルエンザでこの世を去りました。お墓は霞目の自衛隊基地の隣りに、荒町の東漸寺には石碑があります。東漸寺は谷風の菩提寺で、以前は霞目にあったらしいのでお墓自体は荒町に移ってこなかったのでしょうね。

第28回 三宝大荒神【若林区成田町】

  • 2010.06.25 Friday
  • 21:18
【訪問日】2010/03/28
【地図】

 木ノ下から大分歩き、荒町にある三宝大荒神までやって来ました。


 五橋方面から荒町商店街を通り、突きあたりの信号まで来るとその左側にあります。笑いながら写っているのは一緒に神社を周ってくれる友人のH君です。


 社殿。三宝荒神は日本独自の神様で、不浄や災難を除去する神とされることから火とかまどの神として信仰されることが多いです。南鍛冶町の近辺なのでこの場所に祀られたのですね。


 境内にある耳権現。説明文によれば、耳患いで苦慮していた旅の修験者の夢枕に権現様が現れ、言われたままに仙性院という修行場にあった卒塔婆に祈ったところ見事に完治し、のちにここに堂宇が建てられた、とのことだとか。


 境内には筆塚もありました。


 在原塚というのは初めて見ました。これが調べてもよくわからない…


 関係ないですが、水準点もあったりもします。


 仙台市の保存樹木にもなっているイチョウのご神木。樹齢が320年、高さは21mにもなります。
 イチョウは雌雄異株ですが、この木は雄木にもかかわらず実をつけ、雌雄同株である大変不思議…と言われていましたが、実は雄株に雌株を接ぎ木したものなんだとか。

第27回 陸奥国分寺薬師堂・白山神社【若林区木ノ下】

  • 2010.06.23 Wednesday
  • 03:58
【訪問日】2010/03/28
【地図】

 今回は陸奥国分寺薬師堂とその東隣にある白山神社です。陸奥国分寺は奈良時代の740年に創建され、室町時代には著しく衰えますが1601年に仙台に移った伊達政宗により再興されました。現在残っている建造物はすべてこのとき作られたもののようです。


 寺の正面に当たる仁王門。数年前に修復工事を受けており、中には一対の金剛力士像が安置されています。いくつか草履が括りつけられていますが、草履を奉納すると足が速くなると聞いたことがあります。由来は分かりませんが…


 正面に見えるのが薬師堂、右端に少し写っているのは鐘楼。境内は公園のようになっており、礎石が並んでいます。ここの石畳が結構歩きにくいのです。


 薬師堂。結構大きな建物です。


 鳩ども。冬のせいか数が多くありませんでした。余談ですが、私の祖父母の家がこの近くにあり、よく祖母と一緒にここを訪れていたものでした。その際いらないお米(農家だったため)を持ってきてよく鳩にやっていました。気分は鳩マスター。


 社務所の掲示板に貼られていた案内図。左下の整然とした区画はかつて別坊があった場所とのこと。現在は1つしか残っていません。


 薬師堂の東にある七重塔跡

 続いて白山神社に参ります。白山神社は陸奥国分寺創建期(8世紀後半)に地元の守護神として祀られたといわれています。


 鳥居は社殿の近くではなく、仁王門近くに道路に面して建っています。塗装が禿げていてすこしがっかり。


 七重塔跡の目の前にある白山神社。こちらは拝殿。


 拝殿の西側には4つの摂社があります。手前から、須賀神社八幡宮雷神社稲荷神社です。
 須賀神社の名称は「木の下須賀神社」となっていましたが、あの例の見つからなかった須賀神社とは関係は無いと思われます。


 さらに東側には天満宮がひとつ。


 こちらが白山神社本殿。拝殿とは独立して建っています。


 側面から見るとこのような美しい造りをしています。看板の説明文によると「一間社流造」(いっけんしゃながれづくり)という造りだそうです。「一間社」とは正面の柱が2本で、「流造」とは「切妻照屋根」(きりづまてりやね、反りのある屋根)の前方の前が長く伸びた形のことを指すのだとか。

 次回は荒町界隈まで飛びます。


第26回 姥神社・紫稲荷神社【若林区木ノ下】

  • 2010.06.16 Wednesday
  • 03:32
【訪問日】2010/03/28
【地図】

 見つからなかった須賀神社に困惑しながら次の神社へ。姥神社紫稲荷神社。フェンスに囲まれた駐車場の中にあります。


 2つ並んでおり、左が姥神社、右が紫稲荷です。


 姥神社の扁額。合祀されたようですね。姥神社は清水小路にあったようですが、大正地図には「サカサ神」と表記されています。


 両神社の間にあった蔵王大権現と山神の碑。


 道路を挟んだ東隣りは木ノ下公園。仙台三十三観音のひとつである准胝観音堂が見えます。その奥が陸奥国分寺薬師堂となります。


 神社のすぐ南西にある陸奥国分寺本坊。塔が立派ですね。

 次回はいよいよ陸奥国分寺薬師堂。待ってろ鳩ども!

第25回 須賀神社【若林区木ノ下】※発見できず

  • 2010.06.07 Monday
  • 01:18

【訪問日】2010/03/28
【地図】

 神社とは、そう簡単に地図から消え去ってしまうものなのか?
 地図によりますが、木ノ下1丁目に表記がある須賀神社。私の使用している昭文社の地図には表記がありますが、ネットの地図には表記がありません。ちなみに、大正の地図にはちゃんと「天王社」と表記がありますが、場所が若干違っています。

 地図の表記を頼りに現地に行くと…そこには立派な新築住宅が。近所の人にこのあたりに神社が無いか尋ねてみても、期待通りの返事は返ってきませんでした。

 図書館に行きゼンリンの住宅地図を見てみましたが表記無し。しかし、若林の散歩手帖にはあろうことか神社の写真が載っています。この本の発行は意外と最近(いや、そうでもないか)の2000年で、この時期までは神社があったことになります。建っていた住宅は新しさから見て、ここ2~3年に建てられたものでしょうから、神社が無くなったのはつい最近のことではないでしょうか。

 地図に表記がある神社が無かったことは今までに塩竈でありました(土台だけ残っていた)が、私としては移転されたと考えたいです。しかし、このあたりは昔からの住宅密集地なのでそう簡単に近くに手頃な移転先が見つかるのかが疑問な気がします。もしかすると合祀?いずれ、近くにある酒屋さんに尋ねてみようと思っています。

 

 


 

〜以下追記〜

 

読者様からの情報により、連坊にある松音寺の境内に新しい社殿を建てている最中だということがわかりました。

連坊商興会活動HP

 

【訪問日】2018/01/12

 こちらがその松音寺。境内には若林城から移設されたといわれる山門があります。

 

 そしてこれが建設中の須賀神社…だと思われます。扁額等が無いので確認できないのです。失礼して社殿の内部を覗いてみましたが、中には何もありませんでした。

 

『 須賀神社[すかじんじゃ](木ノ下)

 国分寺18伽藍のひとつだったという。牛頭天王を祀り、旧暦6月15日の祭にはキュウリを奉納して豊作を祈るが、子どもの水難よけともいわれる。かつての祭では、御輿(みこし)は河原町の須賀神社まで渡り、その先の広瀬川に入っていった。  』若林区HPより)

 

 松音寺のすぐ隣にあるわけではなく、本堂からは南側の道路を隔てた墓地の西端に位置しています。写真右奥に見えるのが松音寺の建物です。

 

 神社の完成が楽しみですね。

 

第24回 白鳥神社・薬師堂【若林区表柴田町・木ノ下】

  • 2010.06.06 Sunday
  • 04:27
【訪問日】2010/03/28

 北上もそろそろ終わり。今回は白鳥神社薬師堂です。


 まずは白鳥神社です。前回の箱石神社と同じように、この場所に移り住んだ旧柴田郡平村(現大河原町金ヶ瀬)の住人たちが故郷の大高山神社御祭神を祀ったものと言われています。【地図】


 あんまり社殿だとは思えないような外観。失礼して中を覗くと、案の定中は集会所で、賽銭箱だけが置かれていました。本殿はちゃんと裏にありました。



 こちらは白鳥神社のすぐ近くにある薬師堂。すぐ左は住宅、右の建物は看板屋さんです。ここは陸奥国分寺の子院があった場所(陸奥国分寺薬師堂の張り紙より)なので、おそらくそれに関係したものだと思いますが、だとすると他の子院があった場所に何も残ってない理由がよくわかりませんね。【地図】

 次回でしばらく続いた北上は終わりますが、…神社ってそう簡単に消えるもの?

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