第58回 三田八幡神社【泉区八乙女】

  • 2010.07.31 Saturday
  • 03:32
【訪問日】2010/04/08
【地図】

 三田八幡神社(みたはちまんじんじゃ)。寛永年間、仙台藩士であった犬飼清蔵が江戸の三田にある八幡神社の分霊を氏神として祀ったもの。明治の頃、犬飼氏がこの地に移るとともに移転されました。


 参道に車が停められています。イラッとしました。鳥居の後ろの建物がオフィスになっているのです。まあ神社に特に興味の無い人にとってはなあ…


 社殿。地元の人には「おあみださん」と呼ばれて親しまれているそうですが、阿弥陀堂などはありません。


 社殿右にある境内社。何なのかは失念…


 関係無いですが水準点がありました。

 次回からは八乙女駅から西へ、賀茂神社方面へ向かいます。

第57回 仙台藩刑場跡、肩掛山【泉区七北田、上刈谷】

  • 2010.07.31 Saturday
  • 02:43

【訪問日】2010/04/08


 地下鉄八乙女駅から県道仙台泉線を少し南に行くと、七北田刑場跡の案内板が見えてきます。

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第56回 石留神社【泉区市名坂】

  • 2010.07.23 Friday
  • 00:16
【訪問日】2010/04/08
【地図】


 石留神社七北田川の堤防上にあります。かつては周りに杉木立がありました。
 その昔、志波彦神が白馬に乗り七北田川を渡ったところ、馬が川底の石につまずき落馬したため、冠を川に流してしまいました(七北田川の別名「冠川」はここから来ている、という説があります)。怒った神は家来の神々に命じて付近の石を両岸に拾い上げさせ、これより下流には石があってはならないと見張りの神をおきました。この神が石留明神だという説が伝わっています。
 また、かつて川をさかのぼる石をがあり、それを拾って祀ったものだという伝説もあります。


 扁額。「石留」の他にも「石止」という表記もあり、地名も「市名坂字石止」です。


 目の前には七北田川。なんとも気持ちの良い空間でした。余談ですが、廃止された仙台鉄道はこの神社のすぐ東側を通っており、七北田川には橋脚の残骸が残っています。


 平成20年に新しく架け替えられた七北田橋。それまでの橋は戦前のものでした。架け替えられる以前は橋の下に多くの石が転がっており、前述の伝説に信憑性を持たせていました。

石止追加分
 後日通りがかったところ、盛大にお祭りが行われていました。対岸から急いで写真を撮ったためによくわかりませんが…。青い車の少し右、黒い屋根が神社です。

第55回 二柱神社【泉区市名坂】

  • 2010.07.22 Thursday
  • 23:16
【訪問日】2010/04/08
【地図】

 二柱神社。旧名は仁和多利大権現で、豪族・国分氏の氏神でした。寛文2年(1662年)に現在地に移り、明治維新のころに現在の社名に改名。イザナギ、イザナミの2人の神を祀っているので「二柱神社」です。明治11年に石留神社を合祀。


 七北田の宿場町の一角に位置します。旧国道4号は旧道となった今でも車通りが絶えません。


 一の鳥居。参道が曲がっています。


 二の鳥居。境内は結構な広さです。


 拝殿。二柱神社は良縁の神様として著名で、関東方面から訪れる方もいるそうです。


 拝殿を横から。旧社殿は昭和6年に焼失し、昭和15年に再建されたものが近年新築されたそうです。かつては二柱神楽があったそうですが伝承者が無く、復活の見込みもないそうです。


 境内には数多くの石碑が。馬頭観音、馬櫪神(ばれきしん)などなど。


 こちらは七北田横山にあった雷神の本尊。二柱神社に合祀されています。なんだか、いかにも「雷神」という感じですよね。


 後日車で通りかかったところ、偶然にもお祭りの日であったようで、お神輿のねり歩きが行われていました。まあ、肝心のお神輿は写っていませんが…


 以下、補足です。
 二柱神社は現在地に移る前は市名坂の修林壇(しゅりんだん)にありました。この地には現在もお地蔵さまが残っています。




 市名坂字鳥井原にあるマンションの敷地内にあります。「鳥井原」という地名も神社に由来するものでしょうか。


 そこから少し南に行った場所、写真中央の林の中には堂宇と多くのお墓があります(すみません、近づいた写真はありません)。かつては「修林壇」の名の通りここは修験の地で、別当をつとめた金剛院というお寺があり、その寺のものだと考えられます。
参考HP:はっけん七北田

第54回 高玉明神【泉区高玉町】

  • 2010.07.22 Thursday
  • 21:39
【訪問日】2010/04/08
【地図】

 高玉明神。 西友仙台泉店の西にある公園の南端に位置します。


 道路に面しているため、簡単に見つけることができます。


 社殿。すぐ南側にフェンスがあるため、これ以上引きでは撮れません。


 説明板によれば、祭神は倉稲魂神(うかのみたまのかみ)で、稲荷神社のようです。
 昔、この近辺にあった屋敷で「お玉」という女中が無実の罪で打ち首になり、その怨霊が火の玉となって現れたという伝説があるそうです。

第53回 雷神社【泉区市名坂】

  • 2010.07.18 Sunday
  • 14:00

【訪問日】2010/04/08
【地図】

 雷神社。4号バイパスのすぐ脇にあるのですが、とても気付きにくい神社です。


 気づきにくい理由はこれ。神社を囲むように看板広告がいくつも建っているからです。バイパスからは神社の姿は全く見えません。


 看板の裏には小ぢんまりとした祠があります。バイパスの建設でこの場所に移されたのでしょうか。


 後日通りがかった際には、桜が見事に咲き誇っていました。

 

第52回 せきひき神様、愛宕神社分霊社【泉区松森】

  • 2010.07.18 Sunday
  • 13:45

【訪問日】2010/04/08


 せきひき神様は神社ではなく石碑です。4号線バイパスに歩道橋が架かる交差点にあります。【地図】


 説明版によれば、この石碑は地域の人々が百日咳の完治を願いにお参りに来たそうで、藁を石碑に縛って願をかけ、病気が治るとお礼参りに来て藁を外したそうです。泉区内の史跡には説明板がありわかりやすくていいですね。

 





 愛宕神社分霊社。こちらは4号バイパス沿いの自動車販売店の脇にあります。太白区向山にある愛宕神社の分霊社みたいです。後日通りがかったところ、販売店の従業員の方々らしき人が集まり宮司さんとともに祈祷をしていました。【地図】

第51回 友崎観音、白鳥神社【泉区南光台、松森】

  • 2010.07.18 Sunday
  • 13:30

【訪問日】2010/04/08

 友崎観音白鳥神社。友崎観音は特に問題ありませんでしたが、白鳥神社のほうは厄介でした。


 まずは友崎観音。安産と子育ての神様で、南光台の開発で集められた馬頭観音とともに祀られています。馬頭観音があるということは、かつて街道があったことを物語っていますね。【地図】


 コンビニのある交差点の一角にありますが、少し高い位置にあるので見逃しやすいかもしれません。

 





 次に白鳥神社。地図に神社の記号がある場所に行っても祠はありませんでした。ちょうど公園になっており、その名も「白鳥公園」。


 未発見のまま帰ろうかと思いましたが、近くに畑で作業をしている近所の方がいらっしゃったので、折角だから神社について聞いてみることに。その行動が正解でした。その方は「神社はウチの敷地に移したんだよ」と言い、畑の向こう側にある家を指さしてくれました。【地図】


 こちらがその白鳥神社。完全に民家の敷地内のようで、こうならなければ発見できても近づけなかったでしょう。狐の置物がいくつかありました。


 白鳥神社と言えば日本武尊ですが、この神社にはそれに関する伝承はありません。地元では稲荷神として受け止められているようです。

 

第50回 斎兵衛神社【泉区松森】

  • 2010.07.17 Saturday
  • 04:16

【訪問日】2010/04/08
【地図】

 記念すべき第50回目。しかし内容は薄いです。
 斎兵衛神社。「斎兵衛」はこの場所の地名です。


 大型中古店の脇に位置しますが、規模が小さいです。ちゃんとした由来があるのかも謎です。この店舗の屋敷神みたいなものかもしれません。


 この場所はかつての通称浦田街道の街道筋にあたるので、それに関連したものかもしれません。かつて現在の南光台団地あたりは浦田山と呼ばれていて、道は険しいですが仙台への最短経路の道があったそうです。近くのブックオフ松森店隣りには馬頭観音碑や古い墓地があり、人の往来が多かったことを物語っています。
 



〜追記〜

古い地図によるとこの周辺に白山神社が表記されているものもありますが、神社はすでにありません。以前の住宅地図を見るとここにあったようですが、現在は写真スタジオになっています。


 

第49回 薬師神社【泉区松森】

  • 2010.07.17 Saturday
  • 03:59

【訪問日】2010/04/08
【地図】

 薬師神社松森城址の馬場跡の崎に建っています。もとは薬師堂と呼ばれていましたが、廃仏毀釈の流れて明治11年に薬師神社に変更されました。大正4年に熊野神社に合祀されましたが、その年に町内一帯に疫病が流行ったため、これは祟りだということでこっそり本尊を熊野神社から元に戻したそうです。


 民家の脇を抜けると鳥居とともにこの階段が目に飛び込んできます。この時は気付きませんでしたが、泉市誌によれば、参道の左脇に仏沢の伝説の碑があるようです。

 

「昔、松森に正直な百姓がいた。ある年、いろいろ不幸が重なり田植えが出来ずにいたところ、ある朝見ると一面田植えが済んでいた。人々は仏様が手助けをしてくれたのだと言って、それから仏沢と呼ぶようになった。廃仏毀釈により、仏沢を神田沢と改め明治15年にそのことを記した石碑を薬師神社の参道入り口に建てたが、土地の人はやはり仏沢と呼んでいるし地名も仏沢である。」

 

…とのこと。鶴が丘団地の東端に松森字仏沢の地名と仏沢堤が残っています。


 階段の途中にあった蔵王大権現。階段を挟んだ反対側に井戸もありました。


 やっと社殿に到着。外に賽銭箱等はありません。失礼して中を覗かせてもらうと集会所のようになっており、中に賽銭箱がありました。この社殿の下には奇石があって、部落を護ってくれていると信じられています。


 境内社から見る眺め。手前には田畑が、奥には市街地が広がります。旧松森村はかなり広いですが、かつての中心部であったこの辺りは農地が残り、逆に他の場所では宅地化が進んでいます。


 階段を上から見るとこのように。得てしてこういう場所は登るより下る方が危険です。さて、下るか…

 

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