第82回 上ノ原神社、蒼前神社、神明社【泉区実沢、根白石】

  • 2010.09.30 Thursday
  • 01:49
【訪問日】2010/05/02

 休みの日なら雨降らなければいいのに…

 今回は一気に3つ。上ノ原神社蒼前神社神明社です。


 まずは上ノ原神社。泉パークタウンの西端に位置します。【地図】


 道路から階段を登ったところに。プレハブですが社務所があります。絵馬もあったのでパークタウンの人たちには知られた存在なのでしょうか?


 新築記念碑。「当神社は古来より夕日山に祀り有るも 開発により昭和51年に紫山に移転したるも宅造地内となり 此の度蔭沼頂きを遷座地と定め 本神社社殿の造営竣工に至る。」宅地になる場所に移転するのはどうかと思うのですが…。「蔭沼」(陰沼)はこの場所の地名。「頂き」とありますがここは別に山頂ではありません。

上原
 境内にあった石碑たち。



 蒼前神社。上ノ原神社の西にあります。【地図】

蒼前
 鳥居は2つ。蒼前信仰では漠然と馬が守護神となっていて、何を祀っているかははっきりしないそうです。青森県下田町(現おいらせ町)にある気比神社のものが有名なのだとか。岩手の祭り、「チャグチャグ馬コ」も蒼前信仰に関係しています。『泉市誌』によれば、この周辺では主に岩出山の蒼前さまを信仰していたそうです。大崎市岩出山南沢にある馬主神社のことでしょうか?


 最後に神明社。年川屋敷の集会所の裏にあります。【地図】


 開発によって移されたのでしょうか、石碑が沢山ありました。

神明社
 そして土俵のように並べられた石。本当に相撲をとったら怪我をしそうです。

未紹介つめあわせ

  • 2010.09.21 Tuesday
  • 22:44
 気まぐれに、まだ記事にしていない神社の画像でも貼っておきます。現在のペースでは紹介がいつになるのか自分でもわかりませんから!

ここから雑記用
 宮城野区、川口神社と日和山


 泉区、鷲倉神社


 宮城野区、伊豆佐比売神社


 太白区、坪沼八幡神社


 青葉区、臨済院弁財天堂
 

 泉区、光明の滝不動尊


 多賀城市、山王の庚申塚


 泉区、優婆滝不動尊


 泉区、宇佐八幡神社


 宮城野区、矢先神社


 青葉区、三居沢大聖不動尊
 

 青葉区、三吉神社


 青葉区、作並の八幡神社


 太白区、熊聖神宮


 青葉区、新川の穴薬師


 青葉区、芋沢の大國神社


 宮城野区、稲船神社


 宮城野区、宮城野八幡神社
 

 青葉区、関所神社


 太白区、多賀神社


 泉区、小角の貴船神社


 青葉区、鹽流神社


 青葉区、中山鳥滝不動尊

ここまで雑記用
 青葉区、大堀神社


第81回 熊野神社【富谷町明石】

  • 2010.09.20 Monday
  • 00:10
【訪問日】2010/05/02
【地図】

 根白石の前に寄り道。富谷町の熊野神社です。この日は交通規制のため来た道を戻ることができずに迂回を余儀なくされたのですが、その途中で偶然見つけました。


 この鳥居を見つけて慌てて車を停めました。鳥居はありますが参道は整備されていません。


 鳥居をくぐりましたが参道がはっきりしません。とりあえず道なりに進みましたが、ここが参道のようです。


 上の写真から少し進むと右手に2つの社殿が見えてきます。


 右側のは熊野神社だと分かりましたが、左側のは表記が無く、何の神社かわかりませんでした。


 左側の神社の前にはでーんと小屋が建っていました。邪魔ですね。

ここまで小野目熊野
 鳥居の脇にあった館跡の案内。ちょうど神社の裏手が館跡のようですが、神社についての表記はありませんでした。

第80回 青麻神社、産土神社【宮城野区岩切】

  • 2010.09.20 Monday
  • 00:00
【訪問日】2010/05/02、09/11

 グギギ…山間部の神社に行きたいが…まだ季節的な意味で無理…
 えー、青麻神社(あおそじんじゃ)【地図】です。宮城野区の北端部に位置します。全国にある青麻神社・三光神社の総本社で、祭神は天之御中主神天照大御神月読神で、常陸坊海尊を併祀しています。中風の治癒や陸海上安全にご利益があるようです。詳しくは公式HPへ。


 県道泉塩釜線から参道に入ります。入り口の交差点には案内碑が。




 青麻神社までは曲がりくねる道を進むことになります。別の日に撮ったものですが、道の途中には産土神社(上)【地図】地蔵堂(下)があったりします。


 県民の森を抜けて神社に到着。なんだかにぎやかだと思ったら…


 偶然にも例大祭の日だったようです。


 随身門。
 

 社殿。昭和45年に建て直したもので、以前の社殿は火災で焼失したそうです。社務所の裏には滝がありました。


 神楽殿。榊流青麻神楽は市の無形文化財に登録されています。ぜひ拝見したかったのですが、時間が…
 

 境内社の御井神社(左)と七福神祠。


 窮屈そうに見える山神社。


 青麻神社といえば湧き水が有名です。随身門の脇に清水が引いてあり、皆そこでペットボトルに水を汲んでいました。写真の井戸は神社から道路を挟んだ場所にある「元茶屋の清水」です。こういうがっしゃんがっしゃんするタイプの井戸には初めて触れました。


 次回からは少し寄り道をしたあと、我々(というか私だけか)を魅了し続けている根白石地区まで一気に飛びます。

第79回 南宮神社【多賀城市南宮】

  • 2010.09.13 Monday
  • 00:00

【訪問日】2010/09/11
【地図】

 涼しくなってきた、というか時間の都合がついたので、久しぶりにH君とともに多賀城市あたりを探索してきました。訪問順に記事を書くと青麻神社→根白石方面になるのですが、雰囲気の非常にいい神社に出会えたので忘れないうちに書いておきます。

 南宮神社。「南宮」の名は、かつての多賀国府だか鹽竈神社だかの南の護りだったから…だと思っていたんですが、調査していないためによくわかりません。ちなみに、北宮は利府町春日の春日神社、東宮は七ヶ浜町東宮浜の東宮神社、西宮は宮城野区岩切の八坂神社境内にある志波彦神社(だったはず)です。


 多賀城市の西部、田んぼの真ん中に建っています。


 もっと遠くから見るとこんな感じに。完全に稲穂の海に囲まれています。


 というわけで、はっきりした参道もありません。境内西側の農道から畦道を通ってくるしかないようです。


 木々に囲まれるようにたたずむ覆屋。この中に社殿がありました。


 階段状の土台の上に3つ並ぶ境内社。熊野三山か出羽三山ではないでしょうか。


 そして気になったのがこちら。こんな草ぼうぼうの状態で「ここは鏡ヶ池ですよ!」と言われても説得力が…。池といっても水は張られておらず、ただくぼんでいるだけです。

ここまで南宮
 なんとなく撮った稲穂。もうすぐ収穫ですね。この日は雨が降っていたにもかかわらず探索に出かけたため、非常に面倒でした。

 



 さて、この神社には以下の3つの言い伝えがあります。

 


 まず1つ目は先程の「鏡ヶ池」について。これは、坂上田村麻呂の恋人、悪玉御前(あくだまごぜん)が京の都に向かう途中、この池を水鏡にして化粧をした、ということから名前がついたそうです。


 悪玉御前っていう名前はどうなの?と思ったのですが、悪玉御前はもとは紀伊の公家の大変美しい娘であったそうで、伊勢参りの際に悪人に騙され、利府の豪農の屋敷に召使いとして売られてきました。御前は自分の身を守るために「普通の人には醜く見え、高貴な人には元の美しい姿に見えるように」と利府の伊豆佐比売神社の観世音菩薩に祈願し、普段は大変醜く見えたことが悪玉の名の由来なのではないでしょうか。

 後に御前は坂上田村麻呂に見染められ、子供は2代目の田村麻呂将軍になったそうです。

 


 次に2つ目。この神社の神様は女神なのですが、隣りの山王の神(東北本線沿いの日吉神社の神様でしょうか?)に見染められて困っていました。

 ある日、山王の神が結婚を強く迫り、女神を追いまわします。驚いた女神は必死で逃げましたが、途中で芋の葉を踏んで滑ってしまい、茶の枝で目を傷つけてしまいました。怪我をしたので近くの麻畑に隠れましたがあっさり見つかり、大和町の桝沢まで逃げたところ、ちょうど里人が臼を作っていて、女神はその臼の中に隠れて逃げ切ることができました。それ以来、南宮の里人は芋、茶、麻を植えないようになり、また迷惑をかけた桝沢の地にある船形山神社には「何かお咎めがあるかもしれない…」ということで誰も参拝しなくなったそうです。

 文中に出てきた船形山神社にも、これと似たような話が伝わっています。

 


 最後の3つ目。地元の年輩の方々は、この神社を「色の御前」、鎮座地を「色の地」と呼ぶそうです(実際に地名も「南宮字色の地」です)。これは、大昔の津波でここまで押し流されそのまま南宮神社に合祀された、八幡地区にあった神社の神様が女神だったことが由来だとか。


 さて、南宮神社は明治41年に他の神社とともに市川の陸奥総社宮に合祀されました。ところがそれから間もなく、南宮地区にたびたび火事や疫病が起こるようになります。祈祷師にご祈祷してもらうと、祈祷師に色の御前の霊が乗り移りこう言いました。「総社は男の神様ばかりで、とても居づらい場所です。ついに我慢できなくなって戻ってきましたが、すでに社殿は片づけられていて、雨風をしのぐこともできません。だから、村人たちに気付いてもらうべく、仕方なく災いを起こしていたのです。」

 それを聞いて建てられたのが、現在の社殿だそうです。

 

 

第78回 愛宕神社【泉区七北田】

  • 2010.09.10 Friday
  • 00:00
【訪問日】2010/04/30
【地図】

 かつて泉市の中心地だった七北田の旧街道沿い。その街並みの北の端、山の山頂に愛宕神社はあります。


 参道入り口。写真奥の丁字路交差点が旧街道です。


 参道は蛇行しつつ山の上まで続いています。桜が多数植えられており、さながら桜の街道といった感じでした。


 桜を眺めつつ頂上に到着。


 社殿。祭神は火具土之神。県神社庁によれば「勧請年月、由緒等不明。すでに天明元年(1781)の書き出しに記載され、往古より高峰愛宕山の山頂に鎮座し七北田村一村の尊崇を集める」となっています。


 境内の鳥居前はちょっとした広場になっています。


 目立たない位置にあった古峯大神その他。

ここまで愛宕
 記念碑。光が反射して読みづらいのですが、正面から撮ろうとすると写真左の木が邪魔で止むを得なくこのアングルです。この記念碑は、第二次世界大戦を期に生活様式が変わるまで薪炭を供給し続けた野山に対し、郷愁の念と自然に感謝するために建てられたもののようです。

第77回 八幡神社、山神社【泉区野村、実沢】

  • 2010.09.09 Thursday
  • 01:42
【訪問日】2010/04/29

 泉パークタウン近辺の神社を2つ。八幡神社【地図山神社【地図】です。


 まずは八幡神社。高森にある生協のすぐ東側の丘に建っています。


 社殿は2つ。どちらがどちらかはわかりませんが、八幡神社と神明社です。鳥居が2基あるのもこのせいでしょう。
 ここにある神明社は野村字本七北田(仙台商業のすぐ西)にあるものを合祀したものです。合祀された後も神明社は元の場所に残っており、国分氏の子孫である馬場氏の民家内となっています。

ここまで八幡
 すぐ脇の東北道をトラックが駆け抜けていきました。

 お次は山神社。この時点ですでに18時。


 泉パークタウンの入り口に位置します。もとは寺岡山の東側にありましたが、開発により現在地に移転したそうです。


 社殿。この神社がなかなか見つからず、時間もなかったのでしばらく辺りを走りまわりました。
 
ここまで山
 県道仙台大衡線に面しているのにもかかわらず見つけられなかったとは…

第76回 新田天王社【泉区七北田】

  • 2010.09.09 Thursday
  • 01:14
【訪問日】2010/04/29
【地図】

 4号線沿いにある新田天王社。天王社と言うからには祭神はスサノオでしょうか。


 七北田新田公園という、公園とは名ばかりの空き地の後ろに神社はありました。「新田」とはこのあたりの地名です。鳥居前の階段は意外と急で危険です。


 直角に曲がる参道。周辺の開発によりここに神社が移されたことが一目で窺い知れます。


 社殿。


 参道が直角に曲がる場所にある石碑は古峯大神でした。

ここまで新田天王社
 4号線から交差点を曲がった高台に神社があるので、信号が目印になります。

第75回 金玉明神【泉区大沢】

  • 2010.09.08 Wednesday
  • 20:53
【訪問日】2010/04/29
【地図】

 富谷町との境目近くにある金玉神社。さて、読み方は……

 …どちらも音読みして「きんぎょくじんじゃ」ですよ?


 国道4号の東側、車通りが少ない場所にあります。道路を挟んで老人介護施設が建っています。


 鞘堂の中に五輪の塔があります。後述の由来のため、杖が奉納されていました。

ここまで金玉
 由来の説明板。

『 金玉神社

 昔、南部の金玉という座頭が勾当台の地位を得るために京に行く途中、大沢の山道で、ならず者につかまり殺されたという。殺される時に金玉は、相手の名前をきき、一つのお経を教え、それを朝夕唱えるように言い残した。そのお経は金玉が、どこで誰に殺されたか、わかるような文句であったので、このお経が手がかりとなって、ならず者は捕えられ、金玉はここに葬られたと伝えられている。
 南部の国の座頭の塚ともいい、人々はお参りに来て、杖を奉納していく。  仙台市教育委員会 』


 文中のお経とは、『こがねだまたくさんにせつがいす ぬしはれいぼくはなはだしいやつ』というもの。漢字に起こすと、『金玉大沢山に殺害す 主は鈴木甚八』となります。師匠がなかなか戻らないので探しに来た弟子が、たまたま大沢の宿でこの文を聞き、犯人の鈴木甚八は捕らえられ処刑されたんだそうです。よくわかったなぁ…

第74回 八坂神社【泉区泉ヶ丘】

  • 2010.09.08 Wednesday
  • 20:03
【訪問日】2010/04/29
【地図】

 この日は夕方近くにちょこっと探索へ。まずは七北田大沢地区にある八坂神社です。


 国道4号を北上し、東北自動車道をくぐった先の交差点で左に入り、しばらく進むと右側に鳥居があらわれます。鳥居の前を通る道路は旧奥州街道。


 そこから急な階段を登ります。古い参道が階段に絡みつくようにくっついてきていました。


 階段を登りきると社殿に到着です。新しく見える社殿は昭和24年に建てられたものです。
 この神社は勧請年月不明で、この地に住んでいた百姓、源三郎氏が京都の祇園社にお参りした際に御霊影を受け、今宮牛頭天王を氏神として祀ったのが始まりです。元文3年(1738)に七北田村の端郷(はごう)であった大沢村の惣鎮守となり、明治元年に京都の祇園社が八坂神社と改称すると、この神社もあわせて改称。大正5年には木戸囲(おそらく泉インターのあたり)の春日神社を合祀、現在に至ります。祭神は素戔嗚尊春日大神


 社殿の右側にある石碑群。わかりづらいかもしれませんが、一番左側の乗馬姿の武神が刻まれたものは将軍地蔵と言うそうです。将軍地蔵は鎌倉時代末期から始まった地蔵信仰で、その名の通り戦勝をもたらしてくれると武士たちから信仰されていました。道祖神と習合した地蔵です。


ここまで八坂
 狛犬「桜きれいだなー」

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