第90回 東照宮周辺の湧水、冥想の松【青葉区】

  • 2010.10.30 Saturday
  • 00:37

【訪問日】2010/05/14、10/27

 仙台東照宮周辺の湧水を3つほど紹介します。いずれも環境省の湧水データに載っていましたが、最近なぜか仙台市内のデータだけ消されてしまいました。
 

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第89回 造営荒神社(山神神社)【泉区実沢】

  • 2010.10.29 Friday
  • 21:27
【訪問日】2010/05/02
【地図】

 この日の探索もこれで終わり。造営荒神社(軻遇突智神社)です。地元学のHPで発見したので詳細はそちらで。


 写真の木立の中に神社があります。鳥居などの案内は全くありません。それどころか神社に近づける道さえ無いので、田んぼのあぜ道を進むことになります。
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第88回 熊野神社【泉区実沢】

  • 2010.10.29 Friday
  • 20:32

【訪問日】2010/05/02
【地図】

 この日の探索もそろそろ終わり。泉中央方面に戻りつつ実沢の熊野神社に寄ります。


 参道入り口と一の鳥居。バス通りには背を向けて建っており、社殿の脇には駐車場も用意されているので車で訪れても安心です。


 二の鳥居。


 社殿。この神社は前回でも触れた八乙女氏が、伊達家の家臣となったあとに移り住んだ館に氏神として勧請したもので、八乙女氏が北根村(現在の泉区八乙女地区)にさらに移った際に、この場所に移築されたものだそうです。旧実沢村の鎮守でした。明治42年に村内の須賀葉山、神明、道祖諏訪軻遇突智薬師の各社を合祀。神明社以外は現在も元の場所で祀られています。


 ちなみに、八乙女氏は国分氏から分かれた松森氏のさらに分家にあたり、泉区の松森地区にも同じく熊野神社が建っているのは偶然でしょうか。


 境内社の山神社


 境内にある石碑や石仏ひとつひとつに賽銭箱が備え付けてありました。一番左の石仏は神社の別当であった常法院の不動です。


 力士石。説明板によると、以前ここより約2km離れた場所に相撲取り場があり、錏山(しころやま)という豪傑力士が高下駄をはいて、その相撲取り場から肩に担いで持ってきた石なのだそうです。すげえ。
 

 



 ☆怨みの絶えることのない淵…?

 この熊野神社の南方、七北田川の対岸の丘には山内氏の砦であった山野内城跡があります。この城跡の北側、七北田川に面する場所は断崖絶壁となっていて、そしてその崖のところにある淵は「万人淵」と呼ばれています。天正12年(1584)にこの城は結城氏に攻め落とされ、その際に身を投げた婦女子の怨念が水泡となって絶えることが無い…と言い伝えられている場所なのです。


 実はこの場所は天然の炭酸水が湧き出ている場所であり、大正時代から消火剤製造に転用される戦時中までラムネ工場がありました。昔の人々は怨念のこもったラムネを飲んでいたのかも…?
 

第87回 養老三滝不動尊、道祖神【泉区実沢】

  • 2010.10.27 Wednesday
  • 02:22
【訪問日】2010/05/02

 北中山団地のすぐ近く、新早坂下橋のたもとへ。


 養老三滝不動尊。橋から泉ビレジに向かうバス通りにあります。『泉市誌』には長老滝不動として紹介されているようです。【地図】


 威厳のある不動像にはちゃんとお供え物がしてありました。


 説明板。しかしこういう風に訪れやすい不動尊は助かる…。基本的に山の中ばっかりですからね、ご不動様は。いつか泉区内のものは制覇してみたいです。

養老三滝
 向こうに見えるのが新早坂下橋。なかなか傾斜が急です。



 こちらは養老三滝不動尊のすぐ側にある道祖神。鳥居の裏の木の建造物は内部に腰掛けのようになっており、ただの休憩用のベンチかと思いましたが、どうやら長床の右半分だけが残ったようです。【地図】
 このすぐ左に民家があり、そこの方が管理しています。このあたりは実沢の中でももっとも開拓が早かった地域で、この道祖神も自然発生的に大昔からあったものと思われる、と『泉市誌』にはありました。


 近年建て替えられた、とても綺麗な社殿。下の写真の説明板には「朱色の社」と書いてありますが看板ならぬ説明板に偽りあり。ちなみにこの社殿の裏には八乙女館跡があります。その名の通り八乙女氏の居城で、地下鉄沿線の「八乙女」の地名の由来です。伊達氏の家臣となった後にはさらに西方の館に移り、そちらは泉ビレジの住所「館」の由来になっています。


 説明板には泉区内で道祖神が祀られている場所が書いてありました。すべて訪問済みです。朴沢八幡裏の道祖神は面白かった…

道祖神
 不動尊から道祖神へ向かう途中で見つけた、崖の穴の中に祀られていた名もなき石仏。こういう発見が面白いんですよね。
 後日通りかかったところ、崖が崩れたのかこの場所に土砂が溜まっており石仏は見つかりませんでした。どうやら埋まってしまったようです。

第86回 貴布禰神社【泉区小角】

  • 2010.10.27 Wednesday
  • 01:51
【訪問日】2010/05/02
【地図】

 上谷刈にもありましたが、小角にも貴布禰神社があります。表記揺れは相変わらず。
 この神社はもともと利府にあり、後に塩竈に移設、さらに古内の賀茂神社が塩竈から移された頃にこの神社も小角の地に移されたといいます。古内の賀茂神社が京都の賀茂神社(本社)の地形と似たような場所に建てられたことから、貴船神社も同じように七北田川の上流部のこの地に移されたという説があります。祭神は高龗神(たかおかみのかみ)


 神社の入り口。大きな道路には面していないため、細い道を進む必要があります。


 社殿と鞘堂。鞘堂の最上部中央にある丸いものは留守氏の紋…なんですが、これじゃわかりませんね。


 鞘堂脇の2つの境内社。明治42年に春日神社と八幡神社が合祀されたのでおそらくそれらかと。八幡神社は前回の若宮八幡のことなので違うかもしれませんが…


 宇佐八幡神社に続けてここでも鐘撞き堂を発見。いい音を響かせてくれました。


 風雨にさらされ読むのが困難になってしまった説明板。

貴船
 かなり散ってしまっている桜。満開の時期に訪れたら素晴らしいでしょうね。

第85回 若宮八幡神社【泉区小角】

  • 2010.10.27 Wednesday
  • 01:42
【訪問日】2010/05/02
【地図】

 西田中から小角まで戻ります。若宮八幡神社。若宮は気性の激しい神だとされています。国道457号の整備に伴い社殿は移転したようで、国道沿いを探すと簡単に見つかりましたが…


 …シンプルイズベスト?。

若宮八幡
 国道の歩道から見るとこんな感じに。以前は覆屋があったのだから新しく造ってくれれば…

おわり

第84回、雷神社、住吉神社【泉区福岡、西田中】

  • 2010.10.14 Thursday
  • 22:04
【訪問日】2010/05/02

 宇佐八幡を後にし、福岡地区と西田中地区へ。


 福岡にある雷神社。祭神は雷神。階段を登った丘の上に建っています。現地説明版によると、「かみなりじんじゃ」ではなく「なりがみじんじゃ」と読む模様。雷よけと降雨祈願が結びつき建立されたもの。雷の多い年は豊作といわれ歓迎されましたが、「春雷」(しゅんらい)は不作を予知したそうです。【地図】

こちらの記事も参照してください。


 社殿の両脇には沢山の石碑が。金華山、古峯神社、馬頭神…などなど。以前は長床がありましたが、浮浪者等に利用されるため火災予防のため戦後に撤去されたそうです。

雷
 一直線に伸びる根白石バイパス。この場所はかつての福岡城の跡で、盆地が一望できます。



 お次は西田中の住吉神社。旧西田中村の村社でした。鳥居が参道の中心からずれているのは車が通りやすいためにでしょうか。ちなみに旧村名「西田中」は宮城郡に2つあった田中村を区別するために方角がつけられたもの。「東田中」は現多賀城市の東田中地区です。【地図】


 コンクリートで舗装された広場。子供たちの遊び場にはもってこいでしょうが、転んだら痛そうです。

住吉
 住吉神社にもいくつかの神社が合祀されたのですが、西田中村の人々はそれらを境内社として独立した社殿を設けたため、社殿が4つ並ぶという面白い造りになっています。手前から2番目が住吉神社。


 境内社は愛宕神社、法量神社、萱場神社、八幡神社、熊野神社、稲荷社、白狐社、神明社、それと上記写真の一番右の読めない神社。かつての村内の神社が全てここに集められたのでしょうね。

第83回 宇佐八幡神社【泉区根白石】

  • 2010.10.07 Thursday
  • 23:03
【訪問日】2010/05/02
【地図】

 旧根白石村の村社であった宇佐八幡神社。その名の通り豊前の宇佐八幡宮の分霊で、祭神は応神天皇です。


 神社入り口。白石城址である小高い丘に建っています。


 左の社殿が宇佐八幡神社。16〜17世紀ころの建造で、内部は33年ごとに開帳されるそうです。右の社殿は明治41年に合祀された平林の兎口神社(とぐちじんじゃ)で、第六天が祀られており、同じ年に合祀された愛宕神社の社殿を移設したものが使われています。


 左から2番目が合祀された愛宕山の愛宕神社の新しい社殿。1番左は神輿殿です。ほかに年川神社も合祀されたとあるので、前回の神明社のことかもしれません。


 鐘撞き堂。これ以降、鐘撞き堂は主に山間部の神社に行くとちょくちょく見かけ、そのたびに鐘を2人して撞いてます。鐘がある神社は旧村社など位が高いところが多いようです(朴沢八幡神社、鷲倉神社、作並八幡神社、鹽流神社などがそうでした)。
 日本の鐘の9割以上は戦争時の金属類回収例で失われたと言われているので、名の無い鐘であっても貴重ですね。まあこれが戦前の鐘ならば、ですが。


 栽松院の墓。裁松院は伊達晴宗の夫人で、政宗の直系の祖母にあたります。


 ピラミッドのように石仏が積み上げられている三十三観音堂。西国三十三観音を安山岩に浮き彫りにしたもので、1基ごとに札所番号と山号寺号などが刻まれています。


 黒川安芸の墓。白石城の城主であった白石三河守の兄の墓です。


 城址の平場全景。この日は天気が良く、半分ほど散ってしまった桜のもとで沢山の人たちがくつろいでいました。スケッチをしている人が多いですね。

宇佐八幡
 城址の説明版。白石城は戦国時代の城で、白石三河は国分氏の重臣だったようです。


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